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花火(ショート・ショート)

夏の熱気がまだ夕暮れの河原全体を包み込んでいる。土手から見渡すと、河原には水色やピンク、黄色など色とりどりのシートの花が咲き乱れていた。もう他に一枚も敷けないくらい一面に広げられたシート。その自分たちの陣地に向かい、既に多くの人たちが右へ行ったり、左へ行ったりしている。夕暮れの鮮やかなオレンジが、上映間近の映画館のように少しずつ闇に溶け込んでいく。花火の始まりを今か今かと待ちわびる河原に集まった人たちの、パンの耳のような緊張感がこちらまで漂ってくる。私たちは人気の少ない土手の傾斜に座ることにした。タカシが湿っぽい草の上に、何も言わずにハンカチを置いてくれた。ハンカチの下から草いきれが立ち上ってくる。夕陽に隠れていた下弦の月が、その輪郭を徐々にはっきりとさせながら、蒼黒くなっていく空に貼り付いている。空が暗くなるにつれ、月は高級なお皿を思わせる光沢を放ちはじめる。やがて、スピーカーから花火の開始を知らせるアナウンスが流れ出した。真っ黒な影たちが一斉に空を見上げた。

最初の花火が空気の抜かれた風船のような音を立てて打ち上げられた。夜空のスクリーンに金の華が弾けた。一瞬、間をおいて大きな音が空から落ちてきた。胸の中で爆発したかのような衝撃に、私は思わず目をつむってしまった。川のほうから生暖かい真夏の夜風が、迷子を捜している警備員みたいに私の顔を覗き込み、通り過ぎていく。その風に運ばれて、火薬の甘く咽ぶような匂いが漂ってくる。続いて3発、花火が打ち上げられた。歓声が上がる中、私はまだ目を開けることが出来ずにいた。それでも花火は、私のまぶたの裏側に白い光を映し出した。

「きれいだね。やっぱりライブで見ると迫力が違うよ」
タカシが空を見上げながら、私に話しかけた。
「そうだね」
動揺を見抜かれないように、私はタカシの腕にもたれかかった。タカシの温もりに安心して、ゆっくりと目を開けてみた。立て続けに花火が上がる。タカシの胸の中からも花火の爆発音が響く。花火の明りに照らされたタカシの顔はだらしなく口を開いたままで、その呆けた顔が妙に私のツボに嵌ってしまったみたい。
「何、どうしたの」
笑い声をあげた私に、タカシが不思議そうな顔で尋ねた。
「ううん、なんでもないよ」
私は笑顔のままタカシを見つめた。タカシと私の視線が合った。その瞬間を狙っていたかのように花火が爆発した。私は驚いて再び目をつむってしまった。
まぶたを開くと、タカシの顔が目の前にあった。慌てて目を閉じると同時に、唇に柔らかな温かみを感じた。二人の時間だけが止まった。初めてのキスはフリスクの香りがした。唇が離れてゆっくり三つ数えた後、目を開いてタカシを見つめると、タカシは何ごともなかったように空を見上げていた。それでも、二人だけの秘密ができた嬉しさに胸が熱くなった。
空を仰ぐと、大輪の華が夜空一面に広がった。束の間、花火はすぐにその花びらをチラチラ揺らしながら、スローモーションで消えていった。
「大きな音のわりには、すぐに消えてしまうのが切ないね」
私が呟くと、タカシが、
「僕たちはいつまでも輝き続けようね」
と言って、私の肩を抱いてくれた。
「うん」
私は小さく頷いた。幸せの意味が初めてわかったような気がした。この幸せが永遠に続くと思っていた。
帰り道、タカシと二度目のキスをした。その後、タカシは私の家に着くまで一言もしゃべらなかった。それでも、タカシのその生真面目な沈黙が私には心地好く感じられた。

その夏の終わり、私たちは初めて結ばれた。その日、私はタカシの家に招かれた。タカシの家には誰もいなかった。両親は温泉旅行に行っていて、姉貴は大学のサークル活動に出かけているのだそうだ。タカシの家にはもう何度も来たことがあったけれど、タカシと二人だけなのはこれが初めてだった。タカシの表情がいつもより固く感じられたのは、気のせいではなかったようだ。突然、タカシが、
「マユミ、愛してる」
と言って、私にのしかかってきた。期待と不安、それに緊張で、私はただタカシの行為に身を任せるばかりだった。いつも優しいタカシが今日は乱暴だった。私に入ってくるとき、タカシが緊張で震えているのがわかった。きっとタカシも初めての経験だったのだろう。

痛みしか感じなかった。どうしてみんな、こんなことをしたがるのかわからなかった。それでも行為が終わったあと、
「ありがとう」
って言われて抱きしめられたら、嬉しさに自然と涙が溢れた。
「ごめんね」
慌てて謝るタカシは、もとの優しいタカシに戻っていた。それでもタカシの顔はどこか誇らしげで、私はタカシと二人だけの秘密がまた一つ増えたことを素直に喜んだ。

高校2年の夏の1ページ。今思い返してみれば、ほんのままごと遊びの恋だった。恋することに恋していた二人。それでも愛し合っていると信じていられたのは、やはり若かったからなのだろう。タカシは高校を卒業すると、東京の大学へ通うために町を出て行った。
「大学を卒業したら、きっと迎えにくるから」
駅のホームで言ったタカシの言葉を私は疑いもしなかったし、タカシも本気で言ってくれたと今でも思っている。けれども、やっぱり遠距離恋愛は幼い恋には無理があったみたい。二人とも大人になるのに精一杯で、いつしか二人の恋も自然消滅していた。

あの頃の日記帳を開いてみると、「タカシとはもう終わりだね。でも、私たちの花火は結構長く輝いていたよ」と書いてあった。
窓の外はまっ黒な夜空で、花火を見たあの日の夜とおんなじだった。大人ぶって書いた子供じみた言葉に、あの頃の思い出が夜空のスクリーンに浮かび上がるのを見ながら、私は一人微笑んだ。それは音こそ聞こえなかったが、消えることのない輝き続ける花火だった。

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