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短歌  死化粧を母に


死化粧を 姉妹で順に 施した

柩の母に そっとキスする

しげしょうを しまいでじゅんに ほどこした

ひつぎのははに そっとキスする


私は文字が読めるようになってから(4歳頃からかなぁ)読書大好きで
絵本をたくさん読み 幼稚園に通うようになってから教室にある絵本を
貪るように読み尽くしキンダーブックも大好きでした

小学生になると更に読書量は増してゆきました
字の持つ意味に強い興味を持ち 調べてもわからない時は学校の先生に質問
更に難しい漢字は菩提寺のお坊さんに質問 
(うちは曹洞宗で祖母と赤ちゃんの時に亡くなった叔母の位牌がありました)

今は亡き母が会ったことのない姑と義理の妹に対して とても丁寧に
供養していたので それが当たり前と育ちました
毎日お水と炊きたてのご飯をお供えします 母が
お線香の香りのついたお供えのご飯も家族で順に頂いていました

外国の童話を読んでいるとわからない固有名詞が沢山出てきます
その時は近所に元軍医さんがW 醫院を開業していたので先生に聞きました
W先生は幼い私から見たら長身で痩身 いつも三揃いの上に真っ白な白衣を
纏ってました お髪(おぐし)はいつもポマードで綺麗に整髪されていました
穏やかで優しく子供の私の目線に合わせてくれるので大好きでした

私は病気になったら健康保険証なるものを持って病院で診てもらうのか?と
幼稚園の時に知り、小学生になって読書してわからない熟語や外来語があると
母に「W医院に行くから保険証、お願い」と言うと母がW 先生は今 診察中だからと
私を静止します。どうしても英語なのかわからないけど 意味を理解したい私
2階に上がって水銀の体温計を擦って38度までにして熱あるフリしてでもW先生に
会って教えてもらいたく「お母さん、私 急に熱出たから先生に診てもらうわ」と
意気揚々として また保険証をゲットしようとします

母は私の魂胆を知っているから
「そんなに高熱あるなら救急車呼ぶね、それとお父さんの会社に電話して
 着いてきてもらうから茉莉 ソファで横になってて」と言い
 119番にかけたフリして「うちの娘が40度の高熱でうなされて
 意味不明なこと言ってます!(今から思うと母も女優でしたね38度→40度)
 早く救急車来てください」
 そして父の会社にも電話してるフリして私を倍返しならぬ芝居返ししてます

 高学年の仲良しの姉はまだ帰宅してないので 万事休す

 父は超子煩悩なので 偶然にもクラウンスーパーサルーンで帰って来た

 いつもはソファに腰掛けて読書している私が横たわっているから父も私に近づき
「茉莉 具合悪いのかい?」と額に手を当てる

あー仮病がバレる(既にバレバレ)

私はすぐ起き上がって両親に説明した(学芸会の芝居か?)
父は黙って聞いている(優しく歩く誠実がスーツ着てる 常に温厚賞)
母はほくそ笑んでいるように見えた(主演女優賞)ハイ 完敗です母に

次の日曜日 父は紀伊國屋書店に連れて行ってくれて辞書を買ってくれた

優しい父は私が中学1年の真冬、トイレで倒れて脳梗塞か脳血栓になった
倒れる音を1番間近で聞いていた私は記憶が飛んで今も病名はどちらかわからない

母を呼ぶ私 親友がうちに迎えに来る 救急車 ざわめき
父は働き盛りでステンレスの流し台作る会社の社長をしていたが 
42歳の若さで
右半身不随の体になってしまった
入院する父に泊まり込んで付き添う母 半年間
母はベッドの下に小さい布団を敷いて寄り添っていた 父に

病院に泊まり込んで付き添っている時も いつも髪を綺麗にセットし
美しく薄化粧をして いつも素敵なワンピースを纏っていた
イヤリングやブローチもつけていた
いつも父に寄り添い 微笑んでいた 車椅子を押して
ある湖の近くの病院に入院した父に寄り添う母は 湖面が眩しいと
サングラスをしていた母37歳の若さと品があった 女優のように

自分でヘアカラーしていつも身綺麗にしていた母
10年と言う長い年月 闘病していた父を支え続け見送った
47歳の若さで未亡人になったが 私個人的に 未亡人と言う言葉は好まない
母に似合うのは Merry widow (陽気な未亡人)
いつも薄化粧して お洒落で 赤が好きで 編み上げブーツも履いていた

私が小学生の頃 参観日があると和服であらわれる いつもじゃないけど
もう二人 和服のお母さんがいた
母は背が高く色が白く凛としていたので 良い意味で目立っていた
インスタで バエル と言う言葉がない時代でも 母は光っていた
お料理上手で家事能力もずば抜けて高かった

障子の張り替え 壁のペンキ塗り 屋根に上って煙突掃除もしていた
お味噌 ジャム は手作り
お料理は何でも手作りして味が決まって美味しい
おにぎりも塩加減が程よく 柔らか過ぎず固過ぎず
握り寿司も 小さく握って食べさせてくれた

そして編み物の達人
小学生まで ワンピース ボレロ スカート セーター
手袋 帽子 マフラー 何でも編んでくれた
センスがいいの 母は
垢抜けるとは こういうことか。。。と小学生で知った私

近所に母親がいない家庭が二軒あったが 母はいつも
負けないように とか 誰かが見ていてくれるからくさるんじゃないと
声をかけていた 明るく笑いながら(惻隠の情)

父亡き後も働いて働いて 私達を育ててくれた ダブルワークして
私立女子校に通わせてくれた
姉が母と同じ歳で出産してるので 若いおばあちゃんになった
しかし
我が瑞家 母をおばあちゃんとは呼ばない

みきこ姉さんと呼んでいた 孫全員
私も甥におばさんと呼ばれたことはない
皆 茉莉ちゃん

働き詰めの母は胆管癌で入院して二ヶ月も経たないで逝った
娘 孫 全員に見守られて
病室でネイルを塗ったりティアラが欲しいと言ったり
最期まで身綺麗な母だった
皆んなに愛されていた母

葬儀は音楽葬で送った 母の好きだった歌を流して🎵
母らしい最期だったと思う
木曜日 夜19:07に息を引き取った 
確認したのは 初孫の蓮 理学療法士に成り立てだったのかな
甥の中で一番優しく素直 礼儀正しく思いやりもある

お通夜の時 柩の中で眠るように瞳を閉じている母の頬にそっとキスした
母が好きだった歌が流れている
告別式 母は綺麗なお花に囲まれて瞳を閉じている
母に親不孝したことを詫び そっとキスした 唇に
母の温もりは 心が指が覚えている


本日も最後までお読みいただきありがとうございます
母は父亡き後も再婚せず 二夫に見えずを貫きました
両親 ご先祖様のお仏壇は姉の莉絵が母譲りで丁寧に
大切に供養してくれています
私には真似できない事なので ありがたく感謝しています

莉絵さん ありがとうございます

孝行したい時に親はなし を実感しています

私の両親は父が胃癌 母が胆管癌で亡くなっています
平均寿命よりかなり早い年齢で

両親は亡くなりましたが愛されて大事に育てられたのだなぁと
つくづく感じています
楽しく嬉しい思い出がいっぱいあるから

私は鬱病になり二箇所目のデイケアには色々な生い立ちのメンバーさんがいました
もうそこは辞めましたが ここに書くのは控えたいと思います

ある疑念を抱いて調べました
一般的に人様から親切にして頂いたり 何かを貰ったら嬉しく感じ
お返しをしたいと感じます 私は

幼少期に親から愛されなかった方 特に母親からの愛情がなく大人になった方は
お返しをしたい 嬉しいという感情が湧かないそうです
そういう方を難しい言葉ですが

無条件返礼主義者 と呼ぶそうです

これは私が一人で調べた事なので 間違っているかもしれません

よく生みの親より育ての親 という例えがあるように

来世があるなら 私はまた亡くなった両親の子供として生まれたいです


6kg急に痩せてしまったので 体力がなく少し書いては休むを繰り返し
丸1日かけて漸く書き終える事ができました


フォローしてくださる方 スキ してくださる方 
いつも励みになり とても嬉しいです
スキ してくださった方に 直接御礼申し上げたいのですが
操作方法わからないので ここに深く御礼申し上げます
友人に聞いて ゆっくり進めますね

もうすぐ秋のお彼岸ですね
9/20 彼岸入り
9/23 彼岸中日
9/26 彼岸明け

心を込めて丁寧に供養させていただきます








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