「江水散花雪」初日配信感想④~和泉守兼定を愛でながら時間遡行軍に想いを馳せる。

江水散花雪の初日配信&二日目現地の感想、続きます(どこまで)
二部の萌え語りまでいつになったら到達するのか自分でもわかりません。兼さんのポニテと長い裾に娘が落ちた事とか、肥前君の紐に私がとち狂ったとかそういうのもぶちまけたいけど、とりま真面目な感想をもうちょっとだけ。(といいつつ、今回もfusetterの転載)

存在とは縁起の中で紡がれるもの。事実の中にあるのではないと。

配信後青い鳥が一斉に呟いた感想の中で、あの歴史改変が成功していたらあそこにいた刀剣男士たちはみんな存在が消えちゃうんじゃ、みたいな考察がいくつかありました。

それらを眺めながら思ったんですよね。
例えあの歴史改変が成功したとしても兼さんの存在はゆらがなかっただろうと。これは時間遡行軍さんが「物語無きもの」である事の裏返しでもあります。

*

なぜそんな風に思うのかと言うと、極兼さんはもう自分だけの物語を生きている存在になっているから。

修行を終えて戻ってきた兼さんは「土方さんとの間で生まれた物語」を受け入れたうえで、「今の主(審神者)との間の物語」を獲得しているんですよ。
土方さんとの物語を手放したわけではなく、彼との間にあった物語とそこで生まれた感情(悲しみ、愛情)を抱えた自分として、【今の主の元で歴史を守るために戦う刀剣男士である和泉守兼定】という物語を手に入れている。だから土方さんが物質的(!)に喪われたとしても、彼の精神の内にある土方さんとの物語は奪われない。

これは、つはものの今剣ちゃんが、「たとえ自分が虚構の存在だったとしても、義経との間にあった物語(自分の内側で生まれた想い)は嘘ではない。その自分の想いを核として生きて行けばいいんだ」と気づいたのと同じなんです。そこに気付いたから、今剣ちゃんは旅立った。自分だけの物語を手に入れるために。

「外側の事実や誰かから与えられた解釈」ではなく、「自分の内側に生まれた感情」を核として生きていけるのなら、存在は揺らがないんです。何が起きようと、何を失おうと、その瞬間瞬間生まれてきた自分の気持ちを元に生きる事ができるから。

すべての存在は<縁起>によって発生している「現象」に過ぎない。
縁起は〇〇したから××になった、という物質的な事柄だけじゃなくて、××によって◇◇を感じた、あるいは誰々さんと出会ってこんな会話をして心がかき乱された、愛おしいと思った…なども含まれてるんです。
その縁起の集積が「物語」であり、言っちゃえばその人自身でもあるんだよね。私という存在は、この体にあるのでもなく心にあるのでもなく、世界との関係性の中で紡がれた縁起(物語)にあるんですよ。
これは刀剣男士だけじゃない。私たち人の在り方のお話。

ここを、極和泉守兼定はもうどっしりと体現してた。
自分の中に生まれた感情を咀嚼して、悩んで、向き合って、自分の心の内に咲いた花を愛でながら、刀剣男士である自分を生きていくという覚悟がにじみ出てた。
だからこその仲間たちとの関わり方がもうね、しびれるよね。

肥前に対して「わかんねえだろ、その感情」っていうあのシーン!
「その感情の名前はな〇〇なんだよ」なんて野暮な事を言わない所とかもう最高だろ。そうだよ答えは自分で見つけるんだよ。
大人の理想形。私もああいう大人になりたかったけど、ごめん娘よ、母はミュ山姥切タイプなんで無理そうです。自分の力で強く育ってください。

「過去を否定する事は今の自分を否定する事」を体現する時間遡行軍さん。


一方の時間遡行軍さん。
彼らは過去を否定して変えようとしているんですよね。その動機が何なのかはゲームの中でもミュでも描かれていないけれど、彼らは過去を変える事によって現在(未来含む)を変えようとしている。

って事は、今現在の自分自身に繋がる物語を否定してるって事なんですよ。
縁起は途切れのない鎖のようなものだから、過去の一点を否定してしまったら今も失われてしまう。

そりゃ、物語が無くなるわ。
あんたら自分で自分の存在を手放したんじゃん。

むすはじで土方さんの部下になった時間遡行軍さんたちが、飲み会の席で突然人間らしい動きになったシーンがありましたよね。
あれって「そこで新たに縁起が生まれた、新しい物語があの場にいた土方さんたちとの間に紡がれた」って事の象徴なんだろうなと思いながら観ていた事を思い出しました。
物語無き者であった時間遡行軍さんが、物語を手に入れ始めた……!って。


縁起によらず存在するものはこの世界には無いのだから、本当は彼らにだって物語はあったはずなのだ。
誰かの手によってつくられた。誰かの手に渡った。持ち主に大切にされたいと願ったけど叶わなかった。打ち捨てられ忘れ去られて悔しかった。
そんな物語が。
けれどその物語は自分には相応しくないと、もっと愛されて大切にされるべき存在のはずだと、痛みから逃げる事を選んでしまった。

……という文脈で時間遡行軍さんを読むと大変悲しいし、なおの事ゴリゴリにすりつぶしてやんよと思う私。


過去を変えたいと願うほどの想いがあるなら、その想いを今現在から未来へ向かって使えばよかったのに。彼らは「今の自分につながる過去」を否定する事を選んでしまった。
その在り方を許しちゃなんねえのです。
(そういう意味で私の中ではミュ三日月もアウトなんですよね……本当に吾平は幸せ? 諸説へ逃げた義経は幸せ? 己の名前を生きて終わる尊厳を奪われたんじゃなくて?) 

単純な生き死によりも大切なモノってあると思うんすよね。中世は人の命が軽かったとか大河の流れで最近良く見聞きするけど、いや、ちゃんと命の重さあったからね? だから仇討ちすんだからね? だから郎党根絶やしにするんだからね? 命に重さがあるからこそ、首級に価値があんだよ? 生贄だって同じだからね? 「命は平等」という不平等を押し付ける現代のほうが、よっぽど個々の命は軽いんだよ?
あ、話がそれた。

どんなに苦しくて否定したい過去でも、その過去があって今がある。
どんなに感じたくない痛みでも、それこそが自分自身。
えせポジティブに洗脳されて
「人を恨んではいけません、全ての事には意味があるんだから、その恨みを感謝に変えましょう!」とか
「その過去の傷からくるブロックを解除して幸せになりましょう!」なんてやってると、自分自身を見失って空っぽになっちゃうよ、と。
自分の黒歴史を思い出しながら時間遡行軍さんに同情しつつも、徹底的に摺りつぶしてやろうと決意を新たにした所存。

縁起は今ココから未来へ向かってしか紡ぐことが出来ない。
過去に戻って 変えようとした瞬間、今が失われてしまうんだよ。



今回、時間遡行軍さんの声が一層はっきりしてきてて(二部での歌以前に、一部でも和泉守に対して歌いかけていたよね?)不穏さが増し増しでしたが、今後どうなるんでしょう。


相手の声を聞く事は大事だけど、一見正しそうなこととか、一見平等そうなこととか、一見みんなが幸せになりそうな選択肢ほど注意が必要で、自分が守るべきものを見定めておかないと、それこそ将門公が言ったように「負けに引きずりこまれる」事になりかねないよなあ……と。
そんな事も思ったりしました。

惑わされてしまいそうな男士たちを頭に浮かべつつ、次作に期待が高まります。ラブふぇすと伊達双騎。待ち遠しいなあ。

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