「江水散花雪」初日配信&名古屋現地感想①~語らずとも存在する想いの尊さ

『江水散花雪』無事の開幕おめでとうございます。
初日配信を見た翌日、二日目のソワレを娘と一緒に観てきました。初生ミュ。心覚以上の地獄だったけど、私の好きな刀ミュの世界観は健在で素晴らしかった。

そして心覚がますます好きになりました。
(もちろん江水も大好きですよ!)
パライソと江水そして心覚って「なぜ歴史を変えてはならないのか」という問いに対する三部作だって感じていて、そして、心覚に全ての答えが込められてると思うんです。

パライソは「歴史(過去)とどう向き合うべきか」への解答であるし、
江水は「歴史(過去)を変えるとはどういうことか」への解答です。
その二つを踏まえたうえでの心覚なんですよ。心覚はこの無常の刹那を生きる私たちの、希望の物語なんです。(これについてはまた心覚の感想で書きたい……頑張れ自分……)

とはいえ今回は「江水散花雪」の感想。
というか相変わらず、私の一方的な感動の垂れ流しです悪しからず。講演内容のバレ含んでいますので初見で感動したい方はブラウザバックでお願いします。

歴史を変えちゃいけないっていうけど、変えるとどうなっちゃうの? →地獄だった


何で歴史(過去)を変えてはならないのか。
それは「歴史(過去)を変えるという事は、今現在(とそこから続く未来)の全否定」であるからなんだよね。
そこを江水は残酷なまでに描いてくれたなあと思います。
いや、ほんと、しんどかったけど!


「政府があの世界を放棄しなければ、みんな幸せだったんじゃない? 以蔵は人を斬らずに済むし、井伊直弼も吉田松陰も殺されず、日本は内乱で国力を落とさず外国と対等に付き合っていくことが出来て、ほらみんな幸せじゃん!」って。


井伊のおっちゃんになついて幸せそうな南泉とか、吉田松陰をママのように見守って一緒に旅をしてる小竜とか。南泉じゃないけど「もうこのまんま、みんな幸せでいいじゃん!」って言いたくなる。


でも、だんだんと話が進むにつれてその幸せがもたらす影が描かれてくる。

元の主が考え方も生き方も変わってしまうその世界は、本当に誰にとっても幸せなのか。

その問いを背負わされたのが肥前と元主である以蔵だたった。
己が必要とされない世界、己を必要としない幸せそうな元の主を目の当たりにした肥前の絶望の深さが痛かったよね。

兼さんはそこを乗り越えた存在として描かれたけど、肥前くんはさあ……真正面からみちゃったんだよね、その残酷さを。

過去を変えるって事は、現在の否定である。
一見どんなに幸せな世界が生まれたとしても、それが過去であるかぎりその延長線上で存在する現在は否定されてしまう。

その、「否定された現在」の象徴たる以蔵……学ぶことが出来、理想を高く掲げて生きる事ができているその姿が幸せそうであるからこそ、そこで奪われたものは目に見えにくいんだけどさ……。


歴史とは、視点を変えるとそこで生きた人々の「死に様」の記録。たくさんの人の死に様に、後世の人や時の政権が都合の良い解釈を与えたものに過ぎない。
歴史を変えるという事は、その過去に生きた人の死に様の裏に存在していた「想い」を否定する事であり、すなわち尊厳を奪う行為なんです。


人斬りを行わなかった以蔵がどんなに幸せそうだったとしても、あれは「岡田以蔵という人」ではないんですよ。全く別の存在なんです。
以蔵が最後の場面で必死に刀に手を伸ばそうとした、あの動作にこそ全てが込められていた気がします。。
奪われた「岡田以蔵」という名前とその名前の尊厳を魂が求めた、その象徴としての刀。だからこそ以蔵も尊敬をもって刀を捧げるようにして彼に刀を渡したんだなあ……(思い出し泣き)


一つの解としての和泉守兼定(極)


じゃあ大切な人を無くした痛みをどうすれば良いの? あの人の過去を変える力を得られたらと願ってしまう、それは悪い事なの? という問いに対する答えが極になって帰ってきてくれた兼さんの在り方でした。

「結びの響、始まりの音(むすはじ)」では土方さんとの別れを受け入れられず、彼を殺すという選択が出来なかった兼さん。旅の中で彼の終わりをもう一度見届けて、こう歌います。

「それは俺が知っている花じゃない。俺が美しいと思った花じゃない」
「奪うな、俺からあの人を。 俺は俺の花を愛でる!」

歴史が変わって生き延びた土方さんは、自分が愛した土方さんだろうか?
死ぬはずだったあの時を生き延び、その先で安寧に暮らしている土方さんは自分の土方さんだろうか? それはもう自分が大切に思っていた土方さんじゃなく、もう全く別の存在じゃないんだろうか? 

*

「こうだったらもっと幸せだったんじゃないか」という想像は、相手への愛のように見えるけど自己欺瞞の押し付けであり、相手の命のそのままを否定する行為でもあります。

これはね、自分と立場を入れ替えてみるとわかると思う。
人生の最後の瞬間に「あなたは不幸な人生を送らざるを得なかったんですね。あの時ああじゃなかったら、きっと幸せになっていたのに」と言われて、そのifを願われて、本当に嬉しいでしょうかね? その言葉を素直に愛情だと受け取れるかって言ったら、おそらくほとんどの人はNOじゃないのかな。 

*

だから私たちはifを願ってしまうその痛みごと生きていくしか無い。
本当にその人の事が大切で、愛しているというのなら、その人がその人であった事を奪っちゃいけない。
ここを体現した存在である兼さんは、本当に男前だった。

多くを語らず、多くをアドバイスせず、でも放置するんじゃなくて悩んだり試行錯誤している若い刀たちを、ずっと傍らで見守ってた。
それは「彼らも乗り越える事が出来る」っていう信頼があるからなんですよね。そんでその相手への信頼はどこから生まれたかって言うと、のた打ち回って悲しみを越えた自分自身への信頼なんですよ。


肥前を泣かせてやりつつでも多くを語ったり慰めたりしないあのシーンとか、南泉が井伊のおっさんを手にかけた後、彼の問いに答えるシーンとか、
山姥切国広に対しても言いたい事が沢山あるんだろうけれど、それをあえて言わないで、彼の隣で己のできる事をやる姿勢とか。
「ぶっとばーす」が最高でした。江水の一番の名セリフかもしれない。



ちょっと話がそれちゃうけど、今の兼さんなら「むすはじ」での陸奥守の笑顔の意味とかもきっと分かるんだろうな、と思いました。

むすはじのむっちゃんは、語れない気持ちも覚悟も全部笑顔に隠して、自分の信念に沿って行動してた。
そして、むすはじの時の兼さんにはそれが理解できなくて苛立ってた。

だけど戻ってきた兼さんは、言葉に出さなくても態度に表さなくても悲しい人はいるんだってことを理解して、その上で笑って隣にいられる人になってた。最高かよ。素晴らしい兼さんを見せてくれてありがとう。

語らずともそこに思いはある。それを見ようとするかしないのか、それだけだ。

もうとっとだけ追加。
この「語らずとも存在する想い」を、江水はすごく丁寧に表現してくれてて、そこも感動しました。
ざっと箇条書きにしてみます。

・正史を知った後の彦根藩邸で井伊のことを色んな思いを込めながらじいっと見つめる南泉
・以蔵に変わって人斬りを断行する肥前の事をそっと物陰から見守る兼さん
・正史で井伊に花を手向けた後に空を見上げて「雪だ…にゃ」って言う南泉
・「沢山いた主の一人だよ」っていう小竜のセリフの二度目の深まり
・ラストで小竜に黙って手を差し伸べる二振りとか。
・まんばちゃんを責めるのでもなく慰めるのでもなく「おごれ」って絡んで仲間として認められてることを言外に示したラスト

これ以外にもそこかしこに「言葉が無くても伝わるもの」「言葉にならなくても在るもの」が仕込まれていて見返す度に「……ああ」ってなるんです。


舞台って小説と違って地の文が無いから、どうしてもセリフで語らせがちで、私は良くすっと醒めちゃうんですど、江水は語らない芝居を丁寧に魅せてくれた。行間を想像する余地を観客に残して委ねてくれた。
ほんとにありがとうって思います。

ああ好きだなあ。心覚も好きだけど江水も同じくらい好きかもしれない。

戦争は正しい顔をしてやってくる(歴史修正主義者のやり口が怖すぎた件)

あともう一つだけ心に残ったことを書いておくと、歴修正主義者のやりくちが怖すぎた件でしょうかね。
初日配信を見ながら、マジで何度も頭を抱えて震えました。もう絶対これは取り返しがつかないじゃん怖すぎる結末どうなるの、って。

まあ結果としては半分予想通りで、半分予想を裏切られたわけですが。

人の生死ではなく思想を変える。これ以上に取り返しのつかない事はない。その怖さをまざまざと思い知らされた。しかも描き方がさぁぁっ。
あれディストピアじゃん。全員が幸せそうに見えるってもう救いようが無いじゃん……(思い出し震え)

昨今の、テレビのコメンテーターだけじゃなく政治家までもがSNSの言説に振り回されてる節がある風潮に対する揶揄もあるのかなあなんて、ちょっと思いました。深読みかもしれないけど。
いいかみんな、一見正しい顔をしている言葉ほど注意深く聞かなくちゃいけないんだよ。全員が幸せ、全員にとって正解、なんてこの世界にはないんだ。それを重々心に叩き込め。

今後、歴史修正主義者たちがこの形の歴史改変をもくろんできた場合、ほぼ打つ手無いよね。どうすんの時の政府(震えながら)……!


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ええと。
江水散花雪、とにかく素晴らしかったです。

前衛的な演劇だった心覚とも、すごくミュージカルっぽかったパライソとも違い、和的な「お芝居」感が満載でワクワクしました。最後の起坐の挨拶とかもうさ……私も一階席ならスタオベしてたのに(残念ながら二階席)。
細かな心情描写と行間を読ませようとするお芝居、ラストの正史の描写の、言葉も出ない美しさ。ああ、思い出すとまた泣ける……。

何より、いつ公演中止になるか分からないあの状況の中で初日を迎えて下さった事に本当に感謝です。ああ、刀ミュに出会えてよかった。












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