トランスジェンダーと配役

先日、有名俳優の降板劇があり、随分話題になった件。
降板に至ったという見出しがインパクトの強いものであるし、
非常に即座に短絡的な反論が続出したように見えた。

Netflixに
https://www.netflix.com/title/81284247
トランスジェンダーとハリウッド: 過去、現在、そして

というドキュメンタリーがあるが、
どれだけの人がこれを見ただろう。

例えば女性役だから女性の俳優、男性役だから男性の俳優、
トランスジェンダーの役だからトランスジェンダー俳優を配役しよう、
という話なら、別に不自然だとは思われないだろう。
シスジェンダーの人達は、シスジェンダーの役なのだから、
シスジェンダーが演じなきゃ!という立場になった事はあまりないと思う。
刺激的な見出しが問題の本質を奥へ追いやった感がある。

私は少なくとも役者である人達には、
属性と演者の直結という単純な問題点からではなく、
何故そんな事を申し立てるに至ってしまったのかという、
経緯に背景に、意識をまず向けて欲しかったと思っている。
普段、自分ではない存在を表現する人達は、常にそういう作業を
しているのではないか。だからこそだ。
トランスジェンダーが突然そんな事を言い始めたというわけでは無い。
起こったことには必ず経緯がある、背景がある。
だから誰かしらの中に、感情が生まれ行動に繋がるわけだ。
そしてそれを常に体現しているのが役者ではないだろうか。と。

ハリウッドのトランスジェンダーは、
何故そんな事を申し立てるに、至ったのか。

何人が、少なくともこのニュースに驚いた役者の何人が、
その背景を把握した上で、思考しただろうか。
私は役者として生きている人には少なくとも
そうして欲しかったと思っている。

降板に至ったという件に賛成しているわけでは無い。
私は平等を訴える事は続けるべきだと思っているが、
圧力集団になることは非常に危ういと考えている。
平等を訴え続けていく上で最も重要なポイントだと思う。

人がジェンダーの存在を感じるとき。
それはジェンダーが人間に、呪いとして発動した瞬間である。