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短編小説、物語いろいろ

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「巴の龍(ともえのりゅう)」「love's nigt」「ある独白(我が永遠の鉄腕アトムに捧ぐ)」「カオル」「甲斐くんの憂鬱」続々増えるよ
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巴の龍 #1(地図付き)

そぼ降る雨が少女の体を容赦なく濡らしていた。 北燕山(ほくえんさん)の奥深く、 人も通わぬ 獣道で、少女は泥にまみれ 着物をひきずるようにして歩いていた。 杉木立が生い茂り、遠く近く 獣の鳴く声が響いてくる。 少女は足を止めず、ひたすら歩く。 よく見ると着物は ところどころ破け 長い髪も雨に濡れて 顔にべたりとはりつき そして その顔を見た者は  誰もが生気のなさに驚くだろう。 雷鳴がとどろいても 少女は足を止めない。 少女の視線が稲光をとらえた。 「

Love's night #1

『比留川(ひるかわ)』 その表札を見た時、勢(せい)は にわかに不安になった。   気づいていなかったわけではない。 気づかないふりをしていたのだ。 心に湧き上がる疑問を言葉にするのが恐ろしく、 聞けなかっただけなのだ。 だが、ここにきて、いやすでに家の前に来て、 やはり勢は、ドアフォンを押すのをためらった。 「パパ。タカネせんんせ~んち、ここなの?」 まだ幼い更冴(さらさ)は、今日という日を楽しみにしていた。 何日も前から、保育園から帰るとカレンダーを

Love's night #2

「や・・・やぁ・・・。」 気の抜けたような勢(せい)の挨拶。 更冴(さらさ)は ぴょんぴょんジャンプしながら、門扉をカチャカチャ鳴らした。 タカネはエプロン姿に身を包み、サンダル履きで玄関を出てくると、 小さな門扉を開いた。 「こんにちは!」 更冴は大きな声を上げると、タカネに飛びついた。 勢は あわてて更冴を引き離し、自分で抱き上げた。 「ごめん。保育園のつもりしちゃって・・・」 タカネは軽く首を振ると、玄関を開いて中に招き入れようとした。 しかし、勢の

Love's night #3

「パパって、子供すきだったのかしら?」 タカネは不思議そうに自分の父である、男の後ろ姿を目で追った。 それから今さら気づいたように、勢(せい)の方を振り返った。 「更冴ちゃん、パパのこと気に入ってくれたみたいね。 勢も入って」 勢は それでものろのろと玄関の中に入り、 靴もタカネがいら立つくらいにゆっくりと脱いで、 さらに踏みしめるように一歩一歩玄関マットに足を置き、 揃えられたスリッパも やっとの思いで履き終えた。 タカネは辛抱強くそれを待ち、どうぞ、とい

Love's night#4

「パパ、紹介が遅れてごめんなさい。 沓澤 勢(ふみさわ せい)さん、それから更冴(さらさ)ちゃん。」 「沓澤です。」 勢が頭を下げたので、更冴は小首をかしげながら それに習った。 「勢、私の父」 「・・・比留川(ひるかわ)です。 いつも 娘がお世話になっているようで・・・」 男・タカネの父である比留川は、額にシワを寄せ、気難しい顔を勢に向けた。 だが、すぐに更冴に向き直ると、腰を落とし更冴の目線で話しかけた。 「更冴ちゃん、庭を見てみようか」 「見る~ 見

Love's night #6

勢(せい)とタカネが知り合ったのは一年半ほど前のことだ。 更冴(さらさ)の保育園に、タカネが大学の教育実習生としてやってきた。 更冴は最も長い延長保育の子供だった。 いつも一番最後に勢が迎えにきた。 あまりに勢が若いので、最初タカネは、年の離れた兄か、と思ったようだ。 しかし園の先生たちから、父親であること、 大学に通いながら更冴を育てていることなどを聞かされた時には もう二週間が過ぎていた。 タカネが大学にもどると、更冴は元気をなくしているようで、毎日 「

Love's night #8

勢(せい)は、更冴(さらさ)を抱いたままのタカネと三人で、 保育園の見回りを することになった。 タカネは意外に怖がりで、勢の後ろからしがみつくようについて来ていたが、 終いには怖さのあまり 勢のTシャツの裾をつかみながら、何とか戻って来た。 「あ!」 タカネがつかんでいたシャツの裾を離すと、それは よれよれになっていた。 「ごめんなさい。私ったら、どうしよう。」 「いいですよ。タカネ先生には迷惑かけたんだから。 更冴のためだけに、ありがとうございました」

Love's night #9

「タカネせんせー、パパと仲良くしてるの?」 タカネはちょっと はにかみながら、更冴(さらさ)に微笑んだ。 「そうよ、仲良くしてたの。今日は 更冴ちゃんの おうちまで送るわね」 更冴は 自分からぴょんと飛び下りると、二人の真ん中になって 左手を勢(せい)に、右手をタカネに つないだ。 「わ~~い! ママみたいだ~!」 小さなアパートの一階、それが勢と更冴の家だった。 「せんせー、うちに入って、入って」 更冴はタカネをアパートの部屋に入れようとした。 勢もタカネ

Love's night #10

「すみません。送ってもらっちゃって」 勢(せい)は少し照れながら頭をかいた。 「こちらこそ、更冴(さらさ)が無理に上がってもらったのに、かえって迷惑かけてしまって。 こんな遅くに大事なお嬢さんを駅まで送るくらい、あたりまえです」 「やだわ。お嬢さんだなんて」 タカネも恥ずかしそうにうつむいた。 部屋に入ったものの、更冴に夕食を食べさせなくてはならなかった。 いつものように勢が何か作ろうとしたが、タカネが台所に立つと言い出し、 意外にもあり合わせで作ってくれたの

Love's night #11

それから 幾度となく、自然にタカネは 勢(せい)と更冴(さらさ)の部屋を訪れた。 いつも夕食を作ってくれて、しまいには更冴とお風呂に入ってくれる時もあった。 勢は ただ流されるように それを受け入れていった。 やがて 休みの日も一緒に出かけるようになり、まるで仲の良い親子のように 遊園地や動物園、水族館といった お子様お楽しみコースを更冴と 三人で訪れた。 更冴は ますますタカネになつき、三人は若い親子に見えた。 そんな二人の気持ちが、近づいていかないわけがない。

Love's night #12

いつのまにか 一年が過ぎようとしていた。 卒業を半年後に控え、プロポーズしたのはタカネの方だった。 初めて勢(せい)のアパートに行った あの日のように、夜遅く勢に 駅に送ってもらう途中だった。 あの時と同じように 母のいない更冴(さらさ)の話をし、更冴の気持ちがわかると言った。 「私、更冴ちゃんのママになりたいの。今度は本気よ」 勢は答えられなかった。 「勢も私も、もうすぐ卒業するよね。私、うまくいくと あの保育園に就職できそうなの。 勢も そろそろ 仕事決めな

Love's night #13

タカネは軽い昼食を用意していたので、間もなく四人は食卓についた。 食事の場でも勢(せい)の口は重く、はしゃぐ更冴(さらさ)が話す言葉に、 タカネや比留川(ひるかわ)が相手をしているという感じで、 肝心の結婚の話など微塵も出る気配はなく、勢にとって辛く長い時間が過ぎた。 比留川にとっては どんな時間だったのだろうか。 重苦しい中にも、明るい更冴だけが救いだった。 食後のお茶を飲む頃には、興奮しすぎた更冴が ぐずり始めた。 疲れて眠くなったのだ。 温かくなった更冴

Love's night #14

携帯が鳴った。 タカネからのメールだった。 『パパったら、すごく変なの。勢(せい)や更冴ちゃんのこと聞いても、何も答えてくれないの。 あんなに 更冴ちゃんのこと かわいがってたのに・・・。 まぁ、すぐにはOKってわけにはいかないだろうけど。 ね、パパ、さっき急に出かけちゃったの。今から そっち 行ってもいい?』 来る・・・と 勢は直感した。   すぐにタカネに返信する。 『ごめん、今日 俺も疲れちゃったみたいなんだ。緊張したからかな。 今日は ありがとう。 タ

Love's night #15

比留川(ひるかわ)は 黙って部屋に上がった。 そして 眠っている更冴を見ると、その横に座った。 すでに日は落ちており、だが 部屋には電気がついていなかった。 「更冴が何かしゃべるんじゃないかと、ハラハラしたよ」 勢(せい)は 唇を曲げて立ちつくしていた。 「すみません」 「悪いとは、思っているのか?」 比留川が勢を手招きして呼ぶので、勢は比留川に近づいて横に坐った。 「更冴が素直な子で助かった。 最初に、俺に会ったことがあることを内緒にしようって約束させたら