見出し画像

なぜALIFEとアートの親和性が高いのか?

みなさん、こんにちは。岡瑞起です。

筑波大学での講義、対面授業になって2週目に突入しました。オンライン授業と変わらないのではないかと思っていましたが、全然そんなことありませんでした。目の前に学生さんがいて、興味を持って聞いてくれているなとか、眠そうだなとか何かしらの反応があると、その場で思い出したことやスライドには載せていなかったけれど関連していることなど、話が自然と展開していきます。

リアルワールドで得られるフィードバックは、オンライン授業よりも圧倒的に情報量が多いです。「開かれた(オープンエンドな)」環境に身を置くと自然に発散的になるという傾向は、まさにALIFE(人工生命)の研究が示していることなのですが、対面授業に戻って改めて実感しました。

そんなことを思っていたら、最近よく聴いている山口周さんのvoicy(音声プラットフォーム)で『0013 都市は情報量が多いという嘘』というテーマでお話をされているのを聞きました。自然が持つ情報量に比べて都市は情報量が圧倒的に少ないというのです。その話を聞いて、「ALIFEとアートの親和性が良いのはそのためか!」という気づきを得たので、それについて書きたいと思います。

一般的にはよく「都市は情報が集まっている」と言われますが、「逆にものすごく情報がない場所」ではないか、山口さんは指摘しています。それはなぜかというと、都市はもともと人間が作ったモノで出来ているからです。人間がつくる情報がモノになって、それが集まって出来ているのが都市。そして人間がつくる情報は、自然がつくる情報に比べるとたいしたものではなく、都市は全然情報がないというわけです。

確かに自然がつくる情報量ってすごいですよね。先日紹介したCGで再現した恐竜のドキュメンタリーも、背景となる自然をCGで再現するのは難しいので、実際の自然を撮影したそうです。

けれども、人間がつくったモノの中ですごく情報量が多いものがある、と山口さんは言います。それが「アート」です。世の中にアートが浸透した時期と、近代化・都市化は同時に起こっているそうです。都市化の過程で、コントロールできないもの、人間がつくったものではないモノは社会や生活空間の中からどんどんと排除されていきました。けれども、人間はどこかで自然のような情報量の多いモノを求めるのです。その結果、情報量の多い音楽であったり、絵画などのアートといったような形になっていったのではないか、というわけですね。

さて、生命を作り出そうとしているALIFEは、まさに自然のような情報量の多いモノをコンピュータでどうやって作り出せるかに取り組んでいる分野です。ALIFEの技術や概念を用いたアート作品も盛んに作らていて、なぜかなと不思議に思っていたのですが「自然から離れた生活を送っている人間は、情報量の多いモノを欲している」という山口さんのお話を聞いて、「なるほど」と思ったわけです。そこでALIFEとアートがくっつくのです。

実際、ALIFE技術を用いたアート作品というのは見ていて飽きないことが多いです。それはきっと情報量が多いからなのですね。森が奏でる音、海の波、焚き火、など自然が作り出す現象は、飽きることなくずっと見ていることができますよね。それと同じで、生命を作り出すことを目指しているALIFEが作り出すものも必然的に情報量が多いものになっているのだと思います。ここでいう「情報量」とは、「予測不可能性」と言い換えることができます。予測できないことが、飽きないことにもつながるのです。

たとえば、この記事の表紙画像としたテオ・ヤンセンの作品は、ALIFEの文脈の中で良く紹介される「生命的」なアート作品です。実物が科学未来館に展示されていたことがあり、実物を見たこともありますが、本当にいつまで見ていても飽きない作品です。学研から発売されている「大人の科学」から「ミニビースト」も発売されているので、ぜひ興味のある人は自分で組み立てて走らせてみるのもいいですよ。私も買って組み立て、扇風機の風に当てて走らせてときどき楽しんでいます。

ALIFEの研究分野にも、生命現象と情報量はどんな関係にあるのだろう、という観点から提唱された理論があります。「カオスの縁(edge of chaos)」と呼ばれる理論です。「カオスの縁(edge of chaos)」は、ALIFE分野を生み出したクリストファー・ラングトンや複雑系の研究者であるスチュアート・カウフマンによって1980年代に提唱された理論で、「秩序」と「混沌(カオス)」の境界に生じる、複雑性が最も増す領域を指す言葉です。

ラングトンは、情報を保存したり処理したりする能力は、カオスの縁で高まり、そこで生命現象も起こっているのではなかと推測しました。実際、その後の研究で、カオスの縁では脳の神経ネットワークの計算効率が高まることが報告されていたります。また、面白いことに、インターネットでデータを送りあうパターンも、回線が混んでくるに従って、パターンがカオスの縁に向かうという現象が観察されています。情報処理能力が高まることで、スループット(送るデータ量)を落とすことなく動き続けられるのです。

複雑性が高く情報量が多いところでは、情報処理能力も高まり、そこで生命現象が起こっているかもしれないというラングトンらの主張は、アートが飽きない理由も情報量が多いことと合わせて考えてみると、分かりやすいですね。

ということで、今回は「生命を作り出すことを目的としているALIFEは、情報量の多いモノとして人々に求められているアートとの相性がよい」ということについてお話ししました。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

見出し画像クレジット:“Beach Beast” BY Robbert van den Beld(CC:BY 2.0)https://www.flickr.com/photos/robbeld/15987079578/




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?