『私に還りなさい、そして君の側で眠らせて』ーー高橋洋子から宇多田ヒカルへと継がれる母性の系譜
1995年より始まったエヴァンゲリオンシリーズが2021年3月8日公開の「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」を以て、その25年に渡った歴史に幕を閉じた。本シリーズは主にアニメ版や新劇場版を通して、幅広い年齢層の老若男女を魅了し続けてきており無論、私もその魅せられた内の一人である(アスカ過激派)。
私の中のエヴァのルーツを辿るとエヴァンゲリオンという兵器のビジュアルに行き着くのだが、これに共感する人も少なくはないはずだ。しかし、エヴァに魅せられた多くの人達の中心やルーツはこれを凌駕する一つの曲へとたどり着く。それこそが「残酷な天使のテーゼ」だ。
今回私は「残酷な天使のテーゼ」を始めとしたエヴァの楽曲達と共に、作品を代表する二人の歌姫が紡いできた一つのテーマについて考えたことをまとめたいと思う。
この記事中には多く曲を引用しているので極力、掲載されてる曲を全部聴いてもらいたいところですが(★)が付いている箇所ではせめて一番だけでも聴いてから読んでいただくとより、雰囲気を出せるのでお試し下さい。
(※尚、以下にはしれっとシン・エヴァのネタバレが含まれるのでご鑑賞の予定がある上で未鑑賞の方はご注意ください。そうでなければ、温かい目で見ていただけると幸いです。)
その「神曲」は原点にして頂点
●残酷な天使のテーゼ(★)
「残酷な天使の様に 少年よ神話になれ」
ーー「残酷な天使のテーゼ」より
この一節から始まる「残酷な天使のテーゼ」はアニメ版のオープニングテーマとしてリリースされて以降、今もなおその名をアニソン界に轟かせながら絶大な支持を得ているのは言わずと知れている。
その人気は一度、テレビでアニソンランキングなるものが放映されれば確実に上位に君臨し、いつぞやの学校行事で私の親友が熱唱していた程だ。今思えばこの曲は単なるオープニングテーマではなく、これより光を放つ神話の産声であったのだろう。
残酷な天使のテーゼ 悲しみがそして始まる
抱きしめた命の形 その夢に目覚めた時
誰よりも光を放つ 少年よ神話になれ
ーー「残酷な天使のテーゼ」より
1度聴けば耳から離れることはなく、時代を感じさせること無く思わずノってしまうアップテンポな曲調と、その中に流れる世界観を正に醸し出す壮麗な歌詞がもたらす恍惚に終わりが告げられる兆しは無い。
曲の魅力を挙げたら枚挙に暇が無い中、私はこの曲がエヴァの曲たる所以の作品テーマがあると考えた。
エヴァンゲリオンの中に宿る‘‘母性‘‘
そのテーマこそがエヴァという作品を形取る
‘‘母性‘‘だ。エヴァンゲリオンという作品には度々、女性を思わせるモチーフが多数登場している
●人類補完計画実行時の巨大綾波の額に初号機withロンギヌスの槍が入る時の形状
●シンジの中に浮かぶ人類補完のイメージ(上下ともに 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に)
●アディショナルインパクト発動時のエヴァインフィニティの形状(シン・エヴァンゲリオン劇場版:||)
その中でも母の存在はキャラクターのアイデンティティに関わる形で重要な存在にされており、アニメ版は元より新劇場版でもその重要性は揺らいでいない。
シンジにとっての母であり、父ゲンドウにとっての妻:碇ユイはE計画担当者として初号機へのダイレクトエントリーを試みた結果、初号機に取り込まれ、ゲンドウに人類補完計画の構想に繋がる喪失感と絶望を与える要因になっている。
惣流・アスカ・ラングレーの母:惣流・キョウコ・ツェッペリンはユイと同じE計画に参加した結果、弐号機のコアに魂の大部分を取り込まれた後に精神崩壊し、アスカもろとも無理心中を図った挙句に一人で自殺し、アスカに人格形成の由縁たるトラウマを植え付けた。
また式波・アスカ・ラングレーには元来、親という存在は居ないものの、幼少期に碇家の姿を見た事で親という存在への羨望を抱えている(ある意味要因はユイかも?)
綾波レイにも式波アスカと同じく、母たる存在はいないものの彼女には第18使徒リリン(人間)を生み出した、人類の母たる第2使徒リリスとしての姿がある。
作中に上記の様な母の要素がキャラクターやプロットの中に介在しているからこそ、作品における母性がエヴァの抽象と言える。しかし、これらの要素を「残酷な天使のテーゼ」の中で表現するのを担っているのは歌詞や曲調だけではない。むしろ、これらのみでは事足りない程である。ではこの母性を曲の中で紡ぐ上での、決定打になっているものとは何なのだろか。
高橋洋子のリリスを思わせる包容力
「残酷な天使のテーゼ」に潜む母性を引き出すものとは、歌手・高橋洋子の存在である。彼女が持つ歌声からは、聴く者皆をその世界観にドッと引きずり込む御力と共に自ずとエヴァの世界が感じられ、その声を以てして歌い上げる様はアニソン女王の姿を感じずにはいられない。
また、彼女はそのパフォーマンススタイルと作品イメージとのシンクロ率から高い評価と支持を受け、その他の楽曲も提供している。
そんな曲達を聴いた上で彼女の持つ‘‘エヴァ性‘‘を考え、私は曲中に多く
登場する「命令形」に着目した。
というのも、彼女の曲の中には「少年よ、神話になれ」を代表とする命令形を用いた歌詞が多く見られ、これは楽曲の一つのアイデンティティとも言えるためだ。
●魂のルフラン
私に還りなさい 生まれる前に
あなたが過ごした大地へと
この手に還りなさい めぐり逢うために
奇跡は起こるよ何度でも
魂のルフラン
~
私に還りなさい 記憶をたどり
優しさと夢の水源へ
あなたも還りなさい 愛しあうため
心も体も繰り返す
魂のルフラン
ーー「魂のルフラン」 より
残酷な天使のテーゼに並ぶ人気を誇る「魂のルフラン」はユイと綾波のテーマソングと言っても過言ではない世界観を纏っており、高橋洋子のポテンシャル全開!!だ。
●心よ原始に戻れ
いつか時代の夜が明ける
世界よ まぶたを閉じて
~
そして光が胸に届く 心よ 原始に戻れ
~
いつか時代の夜が明ける
あなたよ 祈りを捨てて
~
そして光が胸に届く 心よ 原始に戻れ
ーー「心よ原始に戻れ」 より
「魂のルフラン」と同時にリリースされたものの、前者の勢いからあまり知名度を得ていない「心よ原始に戻れ」。アスカ役:宮村優子さん(みやむー)がカバーしたアスカRemixがあったり、抒情詩的な歌詞だったりが結構お気に入りの一曲。
●暫し空に祈りて
暫し空に祈りて 愛を断て
~
荒れ地に咲くアザミのように
強く生きるためにも
私の手を振り切りなさい
~
救い給え 予言のまま
蒼い星を受け継ぐ者を 教え給え
その瞳に
暫し空に祈りて 愛を断て
~
守り給え 運命ごと
罪も罰も私が受ける 許し給え
この思いを
暫し空に祈りて 道を説け
ーー「暫し空に祈りて」 より
これまた認知度の低い曲ですが、見ての通りの命令形の数々。
下に続く曲のような同じく比較的最近リリースされたいわゆる、’’新・高橋洋子’’といったような楽曲シリーズを代表する一曲である。
●赤き月
誓いを 掲げよ
幼い頃 思い出せない 哀しい過去でも
~
誓いを 掲げよ
この世の 開闢
月夜に 掲げよ
君から 始まる
月夜に 誓うよ
今から 始めよ
ーー「赤き月」 より
曲中にビートボックスが入ってたりしていてアーティスト:高橋洋子の挑戦を見て取れる一曲。歌詞が個人的にどストライク。
これらに多く見られる命令形の「命令」という単語には神に与えられる命を受け入れるという意味が有り、命令形の表現を用いる時は使用者が受け手よりも上の存在である場合が通例である。よって我々が他人に命令された時に苛立つのは、その上下関係を押し付けられるように感じるのはそのためだ。
にも関わらず、彼女の曲達を聴く中でこの嫌悪感は一切感じさせずに安らぎに近い感情を覚えるのは、そこに有る上下関係というのが作品に通ずる 人類の始祖であり母のリリスーー我々人類 であるからだ。
そして、リリスの囁きの代弁者として高橋洋子が、その人類を包み込む規模の壮大さと包容力を感じさせる(ここ重要)。
そこに‘‘高橋洋子の母性‘‘が宿っているのだ。
●無限抱擁
愛されたい 今以上に
深く強く求め合い
その心に その瞳に
私がいた証拠を残して
−−「無限抱擁」 より
前半に綾波からシンジへ、後半にアスカからシンジへの想いが綴られている様な詞に彼女の母性を遺憾無く発揮している『無限抱擁』、良い。
人類補完計画の発動により終局を告げたアニメシリーズを作品のテーマの一つの‘‘母性‘‘で貫き通した高橋洋子。ディストピアとも形容できるそのフィナーレをその母性と歌声で飾り、彼女は「新世紀エヴァンゲリオン」を象徴する歌姫となったのだ。
エヴァ、新たなステップへ
『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』公開から10年の月日が過ぎた2007年、エヴァは新たなる段階へとその歩みを進めた。
それが「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズである。本シリーズは庵野監督率いる制作会社カラーの最新映像技術を通してエヴァを見つめ直し、それまでのものを踏襲しながら新たなエヴァを見い出す試みである。
カラーが製作過程で多くの課題に挑戦していく中、テーマ曲の作曲には「残テ」の残した大きなハードルが立ちはだかっていた。というのも、これを乗り越えるにはその話題性と実力において高橋洋子に劣らず、新劇場版のテーマを創りえる作曲性を持つアーティストの存在が必要であったからだ。
そうでない限り、当時漂っていた“エヴァ”というブランド力に打ち勝つ事が出来ず、新たなエヴァの展開も思いのままには出来なくなってしまう。
だからこそ作品イメージを強く訴え得るテーマ曲に一石を投じる必要があったのだ。
そんな壁を相手に戦う彼らの前に、来たるべくして一人の歌手が降臨した。
エヴァを継ぎし歌姫、宇多田ヒカル
それがご存知、宇多田ヒカルだ。
「Automatic」に「Movin' on without you」、「Forevermore」、「初恋」など代表曲を挙げたらキリがない彼女の歌声は透き通るようでありながらも、確かに心に届く、唯一無二という言葉は彼女のためにあるのではないだろか。一度聴いたら容易くは忘れられない、‘‘歌声に恋をする‘‘とはこの事なのだろう。
そんな彼女が新劇場版に楽曲を提供する展開は当時、かなり話題を呼んだようだが、曲を提供するにあたりgoo音楽の『宇多田ヒカル「Beautiful World/Kiss&Cry」特集』で以下のようなコメントをしている
「私が前、『週刊プレイボーイ』でエヴァ特集やってたときにインタビューを受けて、それを読んだ庵野さんとか関係者の人たちが、「こんなにわかってくれてるんだ」とか、「こんなに深くまで考えてくれてたんだ」っていうので、「じゃあ、お願い」っていうふうに来たらしいのね。だから歌詞も、やっぱりエヴァンゲリオンのテーマでもある、子と親の信頼関係とか、人と人の間にある壁とか、そういう人間関係のテーマとか、こう…やりとりみたいなものに触れてる歌詞にはしたかったんだ。」
というように、カラーを取り巻く関係者、少なくとも本人の中でエヴァへの参加ベクトルは向いていたのだ。まして、コメント中にも見られる作品への理解性と彼女の実力と話題性からこの流れは至極、自然でありながら巡るべくして巡りあったといった所なのだ。
では、そんな宇多田ヒカルが高橋洋子から継ぎ、楽曲を通して新劇場版の中で紡いだものとは一体何なのだろうか。
それを「Beautiful World」を中心に据えて、その曲達から紹介していこう。
確かに住まう寄り添いの心
●Beautiful World(★)
もしも願い一つだけ叶うなら
君のそばで眠らせて どんな場所でもいいよ
Beautiful world
迷わず君だけを見つめている
Beautiful boy
自分の美しさ まだ知らないの
ーー「Beautiful World」より
彼女の曲たちを見つめる上で私は高橋洋子と同様、その歌詞に目を向けた。
その中で気づいたのが「繊細な口調」である。このモチーフは新劇場版シリーズの各曲々に顕れている。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』とアコースティックカバー版が『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』のテーマソングである『Beautiful World』はエヴァの世界をその視点から俯瞰しているような歌詞たちの中にこれを垣間見ることができる。
Beautiful Boy
自分の美しさ まだ知らないの
~
寝ても覚めても少年マンガ
夢見てばっか 自分が好きじゃないの
何が欲しいか 分からなくて
ただ欲しがって ぬるい涙が頬を伝う
~
言いたいこと言えない
根性無しかもしれない
それでいいけど
~
新聞なんかいらない
肝心なことが載ってない
最近調子どうだい?
元気にしてるなら
別にいいけど
ーー 「Beautiful World」より
上記の歌詞に一歩足を踏み出したい、けれど戻りたくはないし止まっていたいわけでもないシンジ(≒監督)らしさと、求めたいものは求める庵野監督らしさを見つめる宇多田ヒカルの姿を感じる。
そして、下記の箇所に彼女のモチーフたる要素が見える。
もしも願い一つだけ叶うなら
君のそばで眠らせて どんな場所でもいいよ
~
僕の世界消えるまで会えぬなら
君のそばで眠らせて どんな場所でも結構
ーー「Beautiful World」より
この曲を印象付け、サビに度々登場する「もしも~なら」という表現や「どんな所でも良い」というフレーズは高橋洋子のそれとは対照的で、そこに全人類をも包み込む程の大らかさは感じられない。
しかし彼女の美声もあって、多くの人がここに安らぎを覚え、つい口ずさんでしまうのではなかろうか(現に私もそうである)。この脳裏と耳に残る安寧とエヴァの世界に通ずる儚さを感じさせる要因こそが、曲の中に込められ、高橋洋子から継いだ’’宇多田ヒカルの母性’’なのだ。
ただ’’彼女の母性’’は前述した通り、高橋洋子の、世界に両手を広げて人々を抱き寄せる「救い」に近い雰囲気を感じさせるものとは違い、我々にそっと語りかける調べとなっている(ここ重要)。
この母性を以てして歌われるのだから、劇場で「:破」のリバイバルを観た自分が泣かないはずがない。
それは「Beautiful World」を通して彼女がエヴァという作品世界に寄り添っている所以の賜物だろう。
そんな’’母性’’がこれにて尽きる訳もなく、次作「:Q」に向かってさらにその尊さは増していく。
●桜流し(★)
開いたばかりの花が散るのを
見ていた木立の遣る瀬無きかな
どんなに怖くたって目を逸らさないよ
全ての終わりに愛があるなら
ーー「桜流し」より
作品内で14年の月日が過ぎ、サードインパクトが起きた後の世界を舞台に新しいエヴァを広げた「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」はその野心的とも言える展開からファンの間でも賛否両論であった。中でも、前作から大きく異なった世界の状況とミサトを始めとしたキャラクター達の変化は観る者の多くを驚かせたのだが、このような変化を迎えたのは宇多田ヒカルもまた例外ではない。
そんな彼女の’’変化’’を私は本作のテーマソングであり、前作までの「Beautiful World」と打って変わった曲調でシリーズ屈指のムズさを誇る「桜流し」からひしひしと感じた。
開いたばかりの花が散るのを
「今年も早いね」と残念そうに見ていたあなたは
とてもきれいだった
もし今の私を見れたなら
どう思うでしょう
あなた無しで生きている私を
ーー「桜流し」より
とういうのは、私の目に大きく二人のキャラクターの姿が歌詞の中に映っているからである。まず、上記の中にいるのは紛れもないアスカだ。
彼女は「:破」での3号機起動実験事故による、人間で無くなってしまった事への悲壮感と空白の14年間で知らされた真実による戦いの中にいる。
そんなアスカの目線からしてみると詞中の「あなた」が彼女の状態を知らずにいるシンジである事がわかり、自ずと「:Q」での彼女の心中が思い浮かぶ。
エヴァパイロットとしてのヒロイズムにくすぶりつつある人間:アスカとしての想いを大切にする式波アスカの優しさ・人間らしさをこのパートは感じさせるのだ。
(*LASについて語り足りないのでいずれLASまとめます)
あなたが守った街のどこかで今日も響く
健やかな産声を聞けたなら
きっと喜ぶでしょう
私たちの続きの足音
ーー「桜流し」より
もう一人のキャラクターは、シン・エヴァをご覧になった方なら上記の歌詞を見てだいたい想像がつくのではないだろうか。それはミサトである。
前作までの朗らかさを感じさせない面持ちと緊張の走った言動から冷酷な印象を与えた彼女には、「:Q」公開当時から
「どうしちまったんだ・・・」という声が寄せられていたが、「シン・」でその背景と結末が描かれ、観る者の涙を誘った。
そこから詩中に感じさせるのは、ネルフの人類補完計画の阻止とヴンダーの使命を全うさせる事に全てを捧げる決意に潜む加持リョウジへの想いであり、作品の中で加持はミサトと息子のリョウジを残し、サードインパクトをその身を犠牲にして防いだ。シリーズを通して叶うことが無かった故に断ち切れる訳のない彼への想いが表れた歌詞の中には、二人の関係を通して育まれたミサトの母親としての姿が目に浮かぶ。
「シン・」劇中でリツコに’’チルドレン’’ではなく「’’子供たち’’の後をよろしく頼むわ」と言うシーンからもそれを見て取れ、我々の涙腺に強烈な一打を加える(私の泣きポイントの1つ)。
そして、これらの歌詞の中に潜む’’変化’’こそが「Beautiful World」の[宇多田ヒカル→エヴァの世界]から「桜流し」の[宇多田ヒカル→キャラクター達]への歌詞を紡ぐ視点の変化であり、この変化は時と共に深度が増していったであろう母性の産物以外の何者でもない。
もう二度と会えないなんて信じられない
まだ何も伝えてない
まだ何も伝えてない
開いたばかりの花が散るのを
見ていた木立の遣る瀬無きかな
どんなに怖くたって目を逸らさないよ
全ての終わりに愛があるなら
ーー「桜流し」より
歌のラストを飾る上記の歌詞にはアスカの切なさを分かち合いながも、ミサトの傍に立つ宇多田ヒカルの姿が自然と浮かび上がってくる。
中でも「開いたばかりの~遣る瀬無きかな」には世界の理に抗えぬチルドレン(=開いたばかりの花)を見守ることしかできないミサトを始めとした大人達(=木立)が写し込まれている箇所に、その表現力はさる事ながら彼女の持つ’’寄り添いの母性’’の真髄を感じさせる。
つまり、「桜流し」で彼女はキャラクター達に寄り添っているのだ。
「:Q」公開と同時に「桜流し」がリリースされた2012年11月17日から3年が過ぎた2015年、彼女は第一子を出産する。これは宇多田ヒカルが真の母となった事を意味すると同時に、彼女の持つ母性への祝福の証と言えるだろう。
魅力としての母性に加え、真の母性が自分の一部となった宇多田ヒカル。
そんな彼女が次に紡ぎ出すものとは・・・。
●One Last Kiss(★)
Oh, can you give me one last kiss?
燃えるようなキスをしよう
忘れたくても
忘れられないほど
ーー「One Last Kiss」より
迎えるべくして迎えた新劇場版シリーズ、庵野秀明のエヴァンゲリオンの終わりである「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」。
観る度にその人にとっての「エヴァ」を一から想わせる作品性と’’まごころ’’を宿す本作が、鑑賞に臨んだ全エヴァファンの心を揺るがし、人生の一部に「エヴァ」が居る全ての人間にとっての揺るがぬマスターピースになった事は言うまでもない史実だろう。
本作に対する私の想いを網羅しようとすると本記事には収まりきる気配がないので、別の記事でまとめる事としよう。
では、これまでのエヴァに終止符を打ち、その先へと広がるフロンティアをレガシーへと換える本作を前にした宇多田ヒカルは何を想い・彼女の母性を以て何に寄り添ったのか。
それはこの歌詞の中にある愛と共に綴られている。
もういっぱいあるけれど
もう一つ増やしましょう
(Can you give me one last kiss?)
忘れたくないこと
ーー「One Last Kiss」より
詞中に宿された’’愛’’とは宇多田ヒカル本人にしか分かりえぬ主観的で個人的なものではない、我々の持つエヴァへの愛だ。
エヴァを卒業したくないし終わってほしくないと願いつつも、その終わりを見届けてあげたいとも想う我らエヴァファンの胸の内からしてみれば、上記の「もういっぱいあるけれど もう一つ増やしましょう」の’’いっぱいある’’ものとはそれまで育んできたエヴァとの思い出であり、’’もう一つ’’とは「シン・エヴァ」で紡ぐ思い出なのだ。
Oh, can you give me one last kiss?
燃えるようなキスをしよう
忘れたくても
忘れられないほど
ーー「One Last Kiss」より
’’もういっぱいある’’思い出達に想いを馳せながらも、まだエヴァの世界の中に居たいと願う僕らの胸の内を彼女は「Can you give me one last kiss?」と代弁する。これまで経てきた作品が我々に与えてくれたキスの数々は観る者にそれぞれの味と記憶を残し、時にそれは心躍るものでもあれば胸を締め付けるものであった。そして最後に受け取ったそれは暖かさと恋しさに包まれたものであった。
この曲名である「One Last Kiss」とはつまり、「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」そのものなのである。そんな最後のキスの灯火はこれから皆の心に灯り続け、その光の輝きが忘れられる事はない。いや、忘れられるはずもない。
もう分かっているよ
この世の終わりでも
年を取っても
忘れられない人
ーー「One Last Kiss」より
また、’’もう分かっているよ’’ という一言が出てきた時、曲に耳を傾ける者・エンドロールを前にする者に「「エヴァが終わる」」という事実が思い返され、更なるエヴァの世界への郷愁が駆り立てられる。そして、次の’’忘れられない人’’というフレーズにはシンジを始めとした登場人物・庵野監督・声優の方々・エヴァを通して知り合えた人々の姿が目に浮かび、そのノスタルジアは「自分のエヴァの中に居る人達」へと向けられるのだ。
この時の我々と彼らの様子を具現化しているものこそが歌詞の上に掲げている青い海のポスターであり、思わず私達を見つめるシンジ達に
「ありがとう。」
と声を掛けてしまう。
そんな虚構と現実とを隔てずに存在する記憶と思い出を意識させてくれるのはエヴァだからこそできる、’’シンクロ’’と言えよう。
Oh oh oh oh oh oh …
I love you more than you'll ever know
ーー「One Last Kiss」より
25年に渡って時に己と、社会と闘いながらエヴァの世界を我々に見せ続けてくれた庵野秀明監督は本作の完成に際し、どんな胸の内を抱いているのだろうか。
3月放送の「プロフェッショナル 仕事の流儀」で「思い入れは無い」と発言していたのが印象深く実に監督らしい。そんな監督の本心は分からないが、私たちの世代・その上の世代・そのまた上の世代にまで広がるエヴァファンの思いは一つ、「感謝」そのものであろう。
少なくとも私にとってのエヴァはアニメ作品の範疇を超えたかけがえの無いものであり、そこから学んで得たものは計り知れない。そうして自分を見つめ直すきっかけを彼から貰った私と通ずる人は他に少なくないはずだ。作品を通して観る者の中の日本サブカル・文化の要素を育み、彼が見つめる景色を真摯に伝え続けてくれた監督に私たちにとっての父に近い姿がそこにはある。
だからこそ「自分の事が好きじゃない」と語り、自分の作品にあまり目を向けない彼に私達と宇多田ヒカルはこう想いを伝える
’’I love you more than you'll ever know''
(僕らは君が思う以上に大好きだよ )
と。
そして、「:序」・「:破」の「BeautifulWorld」、「:Q」の「桜流し」を通してエヴァの世界・人物に寄り添ってきた宇多田ヒカルがこの
「One Last Kiss」で寄り添っているのが
エヴァを見届けた私たち
なのである。
そうして高橋洋子から継いだ彼女の’’母性’’はシリーズの完結を前に一、紡ぎ手という少し離れた場所ではない私たちの傍からその暖かさと共に寄り添い、僕らのエヴァンゲリオンを見届けたのであった。
二人の母と’’ボクたち’’
●Beautiful World (Da Capo Version) (★)
「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」をエンドロールと共に締め括るこの「Beautiful World」は 「:序」・「:破」と歌詞こそ変わらないものの、その詞を宇多田ヒカルの寄り添いを胸に見つめ直すと自分の中の「美しい世界」がその目に浮かび上がり、作品の’’まごころ’’をひしひしと感じることができる。
そしてこの場に私は世界の紡ぎ手として慈しみの限りを私たちに尽くしてくれた二人の歌姫に今一度、感謝をも凌駕した想いをここに捧げたい。
時に私たちを突き放し、頭を抱えさせる事もあった庵野エヴァの旅路にピリオドが打たれた今、その終わりを見届けた者たちはどんな心境を迎えたのだろうか。私は本作を観る度に、帰ってくることもできるけどいざ、離れるとなるとそれまでの記憶と感情が込み上げてくる実家を発つ時の様な面持ちになる。
そうしてまた「もしも願い一つだけ叶うなら 君の側で眠らせて」と口に出してしまう。
こうも想いが溢れるのはつまり、この旅路を通して高橋洋子と宇多田ヒカルの二人が紡いだ’’母性’’を、監督の生き様をその身に受けて、私たちがそんな彼女達・庵野エヴァの世界にとっての
チルドレンになったという証拠なのだ。
ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
今回が初めての投稿でしたがいががでしたか?
自分の中では読むのに少しカロリーを使う量になってしまったのではないかと感じています。
まぁそれでも、シン・エヴァを経て得たこれらの想いと感動を文字に起こしてこうして皆さんと共有できる形にできたのは良かったです。
これからもぼちぼちエヴァを中心に映画・特撮への知見や考察を発信してきたらなと思います。
ここまで読んで頂きありがとうございました!!!
PS:実は「One Last Kiss」に関してもっと語りたい所があったのですが、それを全部ここで書こうとすると本記事のテーマがかすみかねないので、「シン・エヴァの音楽特集」的なものも書く予定です。(最後の歌詞が尊いんです…)
PPS:あと、全アスカの記事と庵野監督の「シン・」作品についても書く予定です。
PPS:モチベにもなるのでハートを押していだだければ、ヒトに戻れなくなる程には活動できるのでお願いします!!度々、すいません。
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