おかれた場所で咲きたがらない私たち
わたしたちは何も知らない。だから、毎日必死になってその自分を創り出そうともがいている。
こう考えてみたことはないだろうか?
何故、こんなに必死になって”私”は、”私なるもの”を作る事に奔走しているのか?と。
必死になって私たちは毎日、自分なるもの、つまりは擬態を作っているに過ぎない。
自分の事を人間であるとそうおもっているから、その人間によせた自分を必死で作り出そうとしている。人間のこうした行為とは本当になぞだ。
人間であるのに、人間であろうと必死に努力する。人間で