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2020年3月の記事一覧

シンデレラ  私たちは完璧なものに嫉妬する生き物

これがよくない、あれが良くないと言って、私たちは他人を批判してその人を潰そうとする。その人から、その人らしさを奪おうとする。 これが良い。あれが良い!といってその相手を肯定し、その人を潰すのではなく活かそうとする人が本当に少ない。 あれは駄目、これは駄目、直しなさい!形を変えなさい!とそういう人はたくさんいる。でも、何も直す必要なんかない!そのままでいい!とそう言ってくれる人は少ない。 何故、私たちはありのままを否定され、変更を余技なくされるのだろうか?私たちは完璧な姿

ネガティブ、それは慈悲深い高貴な光となる。

ネガティブ、それは必ずポジティブに転化させることが出来る。 ネガティブなものは、その姿をいかようにも変える事が出来る。変幻自在。 自分の中にネガティブなものを抱えているというのなら、それは宝の持ち腐れ。ポジティブなものというのは、もうそれ以上変化する事はない。でも、ネガティブなものというのは、何処までも無限にその中に変化の可能性を秘めている。 ネガティブなものの中で苦しんで、苦しんで、そこにずっとしがみついて、その中にあるものをしっかりと目を凝らして見つめるのなら、その

親の為に子は笑い、そして自分を失う

親の為に私たちは笑う。特に何もおかしくもない事でも、愛想よく笑顔を振りまく。 何も嬉しくない。何も楽しくもない。でも、一生懸命笑って、面白いという振りをする。何故、そんな事をするのか?と言われれば、親がそうした事を私たちに強要するからだ。 自分のしたことを認めて欲しい親は、いちいち自分のしたことに対して私たちから、ポジティブな反応をもらおうとする。 何も面白くないし、楽しくもない。でも、それが自分の親が計画、発案した事である場合、その全てに私たちはポジティブな反応を求め

天国への入り口を見つけられない私たち

物質なんてものに依存しているから、そんなものに自分の心を補償してもらおうとするから、私たちは、おかしくなっていく。 本当は何も自分の心など補償などしてはくれない。物質はただその時、一時的に私たちの心を満たしたような気にさせるだけ。 物質は私たちの心を永遠に満たしてくれる訳じゃない。 なのにどうして私たちは物質に依存するんだろう?物質を日々狂った様に追い求めて街をさまよい歩くのだろう? ものが欲しくてものがほしくてたまらない。だから、意味もなく私たちは町に繰り出し、意味

昨日の友は今日の敵

昨日の友は今日の敵。これは、今まで親しかったものが、敵対してくる様になる事のたとえ。人の心は変わりやすく、人が集まったり離れたりするのは、あてにならないということ。 毎日、毎日いろいろな人の話す事を聞いていると、私たちが持っている人に対する評価なんてものは、全くもってあてにならないものだとそう感じてしまう。 今の今まで、かわいいかわいいとそう言っていたものも、そのものが何か自分に不都合な事を言ったり、したりすれば、その人の評価は一気に逆転し、これまでかわいくて、いい子だと