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空高く並ぶテレビの仲間たち


夜20時 新千歳を離陸

分厚いガラスで歪曲した飛行機の窓のことを
ブラウン管テレビの仲間と呼んでみたい瞬間だ。

画面上半分は星のない夜空で暫くブラックアウト。
画面下半分、ゆっくりと流れる故郷の夜景を経て
もしかしたら一人一人に映し出される
エモーショナルな景色があるのではないだろうか。

たとえば家族で出かけた遅い帰り道、車の中

ひんやりした窓にこめかみ辺りを預けながら
こんなふうに視線のピントを合わせないまま
流れていく街の光を眺めていた。
信号の青もテールランプの赤も街灯の黄色も
どんな色の輝きも薄く広がって暗闇の中でぼやけて揺れていた。
元気だった父親の運転で、助手席で安心しきった顔で眠る母。兄は真ん中の席で何をしていただろう。子どもには高い背もたれが邪魔をして、きっとよく見ていなかった。
1番後ろの席の私に眠る暇はない。
誰にも気に掛けられないこの時間を利用して
その綺麗な景色を、未来のために必死で撮り溜めしていたに違いない。

上空1万メートルへ向かう両壁にそれぞれ
ずらりと並ぶこのブラウン管テレビの仲間たち。
そばにある顔一人一人に違う景色を提供しているのだろうか。

もう戻らない日々を想い、胸が暖かくなり
少し涙が出るようになるにはやや早い気もする、
28歳なりたてほやほや。
一層画面の景色は定まらずぼやけていく。
そんな個人的メモリアルVTRを映した画面下半分もシートベルト着用サイン解除のアナウンスにより徐々にブラックアウト。

ただ一つ、この翼に取り付けられたライトだけが
真っ暗な画面で虚しく点滅している。
再び別の土地へ行く私を乗せたこの翼だけが
それでも今ここにいるぞと言わんばかりに。



暇を持て余しそんなことを書いているうちに
少し旋回、気づけば画面いっぱいに目的地の夜景

ガタンと着陸、お疲れさまでした。

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