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名取

*この文章は2011年9月8日に書かれたものです。
 当事者と接する今では使わない、配慮を欠いた言葉遣いも散見されますが、あえてそのまま掲載します。


どこへ行こう、と考えた時に、
名取へ行こう、と思った。
そこがどこにあるのかもよくわかっていなかったが、
あの日、のどかな春の日を満喫していた広島で、
「津波」というものを初めて、生中継で見た。
茶色く膨大な海が、名取川をぐんぐんと遡上し、
堤防を決壊させ、
広大な農地をものすごいスピードで海へと浸していく映像に、釘づけになった。
それが、私にとっての「津波体験」。
私が、あの日、あの時間に、ライヴで体験したのはあの映像が全てだった。
後からテレビで見た他のどんな所に行っても違う気がした。
だから、行くなら名取に行こう。そう思った。

見てどうするんだ、という気持ちもあった。
お前に何ができるんだ、とも思った。
だが、この時代を生きる1人の若者として、現場を見なければならない、と。
勝手ながらそう思った。
私はそのために東京に出てきたんじゃないのか、と自分に言い聞かせた。
ただの物見遊山だと言われれば、そうだ。反論できない。
自分がその土地に縁を持つ人間だったなら、
「見世物じゃないんだ」、
「何も出来ないなら観光気分で来るんじゃない」と不愉快になるだろう。
それでも、とにかく現地をこの目で見て、現場に立たなければ。
何も出来なくても、無力でも、とにかく現場に立ち、そこの空気を吸わなければ。
どうしてだかわからないがそう思った。
だが、自分でも戸惑ったこの思いを、他人に説明できる自信はまったくなかった。
だから、もしも何か聞かれたら、
「昔この辺りに住んでいたから」と答えようと、自分で言い訳を用意してから出掛けた。
親にも、彼氏にも、仙台で泊めてくれた友人にも、
ここに来ることは誰にも言わなかった。


――仙台空港の開港に合わせ最近作られたのであろう、
きれいに整備された駅が続く。
本来ならこの線の終点は仙台空港なのだが、震災の影響で不通。
私が行ったつい数日前に、空港の1つ手前の駅まで復旧したばかりだった。
そこから空港へは無料の送迎バスが代行運行をしているという。

小さな駅の改札をいくつかのスーツケースが通り抜け、バスに乗り込むのを横目に、
私はなるべく目立たないように反対側の出口へ出た。

一面、開けた平野に、
新興住宅地と田畑が広がる。
交通量は、ままある。
道路も広くて整備されてきれいだ。
しかし、よく見ると鉄道高架の下はところどころ立ち入り禁止だし、
何気ない歩道のブロックがところどころ壊れていたりする。
ホームセンターや、交差点に面したセブンイレブンの広い駐車場に、
普段なら見慣れない、ガレキを満載した大型トラックが行き交う。
何も知らずにこの街を歩いても、
もしかしたらすぐには気がつかないかもしれない、非日常の片鱗。
さっきまでは、電車内から少しでも「震災の爪痕」を確認しようと、
目を凝らして外を見ていたのに。
当たり前の街の風景にある少しの違和感は、
しかしこの街にとってもう4ヶ月の間日常と一体化してきたのだと思うと、
受け入れなければならないような気がした。

夏の日差しの下、日傘を差し、
駅から海の方角へ向かって歩き出す。
ふと気付く。
交差点を行き交うトラックは沢山目にしたが、
駅を出てからただ1人の歩行者ともすれ違っていない。
元々車社会でそういう街なのか。
それとも。

まっすぐに伸びた道はそのまま新興住宅地へと入っていく。
昼間の静寂の中、カンカンカン、と大工の音が響く。
これはいま建築中なのか、それとも修復中なのか。
真新しい家の合間にかなり古そうな日本家屋があって、
その屋根瓦は全て剥がされ、青いビニールシートがかかっていた。

住宅地の玄関には子どもの自転車や、自家用車。
どこに似ているか考えて、
私の知る土地で言うなら東広島の西条だ、という結論に達した。
共通点は、空港ができたことによって開発された住宅地ということ。
ただし、広島空港の方は平野ではなく山間部にあるので住宅地も山を削って作っているのだが。
こちらは海まで一面の平野。低い土地。
空が、広い。遮るものもなく、日差しが厳しい。


iPhoneの地図は、とりあえず宮城県立農業高校を目的地に設定した。
駅から徒歩だと45分との表示。
もともとは名取駅から川沿いを1時間以上歩くつもりだったので、これでも大分近くなった方だ。
駅から続くまっすぐな道を、ひたすらに歩いて行く。
新興住宅地は終わり、
すぐに田畑や川、合間にぽつんと農家のあるのどかな景色になった。
小さな川を渡る橋の上には電線を工事しているおじさん達がいて、
話しかけられたらどうしよう、と下を向いて足早に歩いた。
橋の横にはピンクの花が咲いていて、
背後に池、遠景に鉄橋がかかり、なんだかすごく美しく見えた。

もう1つ、再び水路のような小さな川を越え橋を渡る。
橋の頂上で対岸の河川敷が見えた時、その下にひっくり返った自動車の姿が目に入った。
遠いからおもちゃのようだが、間違いない。白のセダン。自家用車だ。
はるか遠景には、おそらくガレキの山と思われる勾配と、作業する重機の姿。
あぁ、ここからか、と思った。
ここまでは、来たのだ。海が。
海岸まで何キロだろう。まだ影も形も見えない海が、あの日は、ここまで来たのだ。

橋を渡ったところの日本家屋の前に、非常用の水タンク。
「新潟市水道局」の文字が入ったポールがそれを囲っていた。
つまり、ここには人が住んでいて、
未だに断水しているということなのか。
右手には2階建て程度の施設。
マップに載っていた老人ホームだとわかった。
建物はちゃんと建っている。コの字型をしていて新しく、見た目もきれいだ。
なんだ!無事だったのかと思いながら近づいて見てみると、
海側の壁は剥がれ、ベランダ窓が割れていた。
ガラスの割れた建物というものは、映像でみる以上に無残でショッキングだった。
ここで暮らしていた人たちは、あの時、どうしたのだろうか。
そして今、どうしているのだろうか。
当然、この場にはもう誰もいない。

歩きながら前方を見ると、
太陽が照りつける無人の平野で、
1機の重機がうなりをあげながら作業をしていた。
空き地と道路の境目にぽつん、と門柱。
家があったんだ、と思った。
表札のとれたこの門柱がなければ、ただの空き地にしか見えなかっただろう。
どんな家が建っていたのか、
間取りや広さはどんなだったのか。
門柱だけがそこに家があったことを示している。

少し進んだところにまたぽつんと住宅が1軒と、隣に商店。
看板があったのでやってるんじゃないかと淡い期待を抱いたが、当然のように無人だった。
今も残っている建物は基本的には形をなしているので、
遠くから一見しただけでは無事だったのかと思ってしまう。
しかしよく見ると窓ガラスは割れ、中もぐちゃぐちゃ。
きっとここで最期を迎えた人もいるんだろう、という
非常時には当たり前の現実が、初めて頭をよぎった。

まばらに建っている家。
まだ廃墟と言うには遠い。
今にも中から誰か出てきそうだし、
誰か住んでいてもおかしくない。
だけど、よく見ると壁はひび割れ、窓ガラスは破壊されたまま。
そして何より、
誰もいない。
人っ子ひとり見かけない。
ただ、私の隣を走る道路を、
空港に向かうリムジンバスと、タクシーと、大型トラックだけが通過していく。

目的地に設定した高校の姿が見えてきた。
もしかしたら避難所だとか、ボランティアセンターだとかになっていて、
誰かいるかもしれない、と思っていた。
…そんなわけがなかった。
遠目に見たグランドには、使えなくなったのであろう自動車が積み上がり、
1階部分の窓ガラスはバリバリに破壊されていた。
ここに避難していたとして、はたして助かったのだろうか。
生徒たちはどうしたのだろうか。
学校という形式や存在は、誰もが関わったことのある存在だ。
その日本全国共通で、どこにでもある、当たり前の文化が廃墟と化している姿は、
事前にテレビでいくら見ていたとしても、現物は想像の枠外だった。

大きな工場の横を通る。
当然、営業なんかしていないし人もいない。
中の機材は運び出されたのか、ぽっかり空いた空間だけがそこに取り残されていた。
海側に面した大きなシャッターが内側にめくれあがっている。
一体どんな規模の水量がここを襲ったらこうなるのだろう。

道路関係の公務員なのか、
地面の水平をとっている職員さんが1人。
話しかけられるのが怖くて、
少し離れた橋の上からこっそり川の写真をとった。
人っ子ひとりいないこの街で、
池や川、水辺はこの世のものとは思えないほど美しい。
水の流れはそれほど早くなく、
人間やこの街同様、時を止めてしまったようだった。

橋の上から海の方を眺める。
防波林だろうか、
海岸線に沿って背の高い木が2層3層と連なっている。
あの木は自らの力で立っているのか。
それとも何か流されてあんな姿になっているのか。
遠くてよくわからない。
とにかく、海まではまだかなりある、ということだけはわかった。
あれほどまでに建物を破壊する津波が、
まさかこんなところにまで及ぶとは、
誰も思わなかっただろう。

そして、ここでタイムリミット。
元来た道を引き返す。

例えるなら、ラピュタのような。
人類亡きあとの世界。
もしくは、よくゲームや小説である、
自分以外の人間が全員、並行世界に飛ばされてしまったような。
北村薫の『ターン』という小説を思い出す。
そんな、時間の止まった街そのものだった。
だけど、悪い冗談にも思えない。
ただひたすらに、静かな景色と青い空。
4ヶ月間こうあり続けたこの街は、一体あとどの位、時を止めるのだろうか。

復興って、なんなんだろう。
今のこの街には、何も無い。
なんにも無い。
これを一体どうしろと言うんだ。
重機が足りないからこのままなのか?
このままでは住めないから始まらないのか?
まだ水が通ってないから誰も戻ってこないのか?
なんなんだ、もう。どうしたら良いんだ。

帰り道。
来る途中に目についたプレハブに動物のイラストが描かれた建物。
どうやら仮設住宅のようだった。
ちょうど停止した車から小さな姉弟が降りてきて、
子犬と追いかけっこを始めた。

それが、私がこの街で見た、
工事関係者以外の唯一の人間だった。

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