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自分の物差しで人を判断しない

突然ですが、今回は少しパーソナルなお話をします。

先日、涙が出るほどとても嬉しいことがありました。最近はドラマや映画を見ても、涙すら流れない、そんなストレスフルな生活を送っていた私にとって、とても大きな出来事であり、何かしらの意味を持つ出来事でもありました。

その出来事とは、妹のブログを知ったことです。
彼女は周りの人には内緒で自分の想いや考えを伝える手段としてブログを使っていました。そのブログには彼女なりのたくさんの想いが込められており、その文章には勇気や感動をもらいました。

妹だからそう思うのではないか、
そうです。そのフィルターは大きい。

しかし、何に一番感動したかって、
彼女が自分の力で自分の想いを不特定多数の人に向けて綴るという、ある種彼女にとって『苦手だった』行動をとっていたことに感動しました。

小学生のとき、私は読書が大好きでした。
読書感想文も得意で賞をもらったこともあります。
一方で、彼女は、本は一切読まず、文章を書くのは大の苦手。私の読書感想文をパクって提出するようなそんな妹でした。
小さい頃から、あまり自分の想いを話すのが得意ではなく、家族内でも人一倍大人しい。何を思っているのかわからないことの方が多い妹でした。

そんな彼女とは、年々よく衝突する事が多くなり、特に彼女の進路に関しては、姉だからこそ、心配からあれこれ口を出したこともありました。

しかし、 
そんな彼女が、なぜか就職先を出版業界に絞っていると言い出した時、私はとても反発しました。

甘い世界じゃない、文章を読んだり書いたり、
苦手な事を仕事にできるわけない、と。

私は今の彼女をちゃんと理解しないまま、自分の物差しで話をしていました。

だからこそ、彼女のブログを見た時、
こんなにも素晴らしい文章が書けるのかと、その文章には力があり、同時に勇気や元気をもらいました。

自分の物差しや偏見で話をする。
誰もが何かしらの価値観を持って生きているからこそ、一度この人はこうだと思ったら、その人のことをアップデートしないまま、ずっとその物差しで見てしまう経験はないでしょうか。

それぞれ考えていることは頭の中にたくさんある。しかし、それを相手に伝えるかどうかはその人の性格もあるし、場面や状況によっても変わるかもしれない。

私は何事もすぐに行動に移し、思ったことはすぐに伝えるタイプで、効率性を求め、非効率なことは排除しようとします。
それが私の性格であり、考え方だと思っていました。

しかしながら、その価値観を振り翳して相手にもそれを求めるのは違うのではないか。
相手にも相手なりの思いや考えがあるし、状況もある。

妹のブログを通して、自身がいかに普段、相手に対して、自分の考えや価値観を押し付けていたかを思い知らされました。

彼女のブログの最後には、
とりあえず行動してみる、そこに必要なのは自信ではなく、少しの好奇心だ、と。

妹よ、姉に新しい景色をありがとう。

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