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紛争死史観と災害死史観から見る意思決定の方向性

元国土交通省技監の大石久和さんはユーラシア大陸における紛争死史観、
日本の災害死史観という歴史から見る考え方を提唱しています。

前者はヨーロッパや中国における人の死に対する向き合い方、
人が死ぬのは紛争、人が原因によって起こるのだという意識であり、
それはあらゆる物事には原因があり対処できるという考え方につながる。

地続きであり外敵からの脅威に常にさらされていたという歴史が、
そのような考え方を生んだと考えられています。

対して日本での人の死は主に災害という避けられないものによって起こる、
災害大国と呼ばれるほど災害の被害が多い日本という国において、
あらゆる害、引いては死は避けられず耐えるものという意識がある。

島国で外敵の脅威も少ないという歴史がそのような考え方を生んだのです。

つまり、紛争死史観を持っている人は害とは常に原因があるものであり、
災害死史観を持っている人は耐え忍び通り過ぎるのを待つものという、
意識の違いがあるという考え方ですが的を射ているなと思ってます。

例えば失敗について考えてみましょう。

失敗それ自体は悪いものというわけではない、
誰でもすることはあるしそこからきちんと学んで、
また次に活かしていけばそれでいい。

大きな害が出れば責任を取らなければいけない場面もあるでしょうが、
そういう厳しい対応をすることで失敗から得る学びを最大化したり、
次の失敗が起きないような仕組みを構築したりするきっかけとなる。

ヨーロッパや中国、アメリカなんかもこういう考え方が主で、
これは先に話した紛争死史観によるところが大きいように見えます。

死とまでいかなくとも害というのは原因があるものであり、
適切に対処することで能動的に乗り越えられるというものです。

対して、日本人って基本的に失敗について甘いところがある、
失敗して何か害が出ても一時は叩かれたりしますが、
時間がたつとなかったかのようにリセットされる。

失敗の原因とか誰の責任かということをあまり追求することがなく、
大きな失敗をした人がまたしれっと公の場に出てたりします。

で、同じような失敗を繰り返してまた叩かれるんだけど、
また時間が経つとということを繰り返してたりしますよね。

これって災害死史観による害とは避けられないものであり、
耐え忍び通り過ぎるのを待つという考え方に由来してるように見える。

失敗による害はあくまでも起きるべくして起きたものであり、
通り過ぎたのならそれでいいという意識からくるのではと思うのです。

こんな感じで日常の些細な事から大きな物事の意思決定において、
紛争死史観と災害死史観というのは人の根底にあり影響を与えている。

それ自体は悪いことではないのですが自分がどちらによっているかと、
それぞれの考え方のメリットとデメリットはきちんと把握するのは大事。

紛争死史観による意思決定は害になったものの原因を把握し、
能動的に乗り越えようとすることで進歩という点において、
大きなメリットがある。

その反面、原因を追求し責任を負わせるという考え方も強い傾向があり、
それが憎しみや怒りなど負の感情を生むことも多々あり、
後々まで尾を引く事態になりかねないという欠点もあります。

対して災害死史観による意思決定は基本的に尾を引くということがない、
ようは立ち直りが早くまたすぐに前に進んでいけるというメリットがある。

日本が第二次世界大戦によって国力を大きく損ねる結果になりながら、
短期間で経済大国と呼ばれるまでに持ち直すことができたのは、
この立ち直りの早さが一因でもあるでしょう。

ですが、先に話したように害は耐え忍び通り過ぎるのを待つものと考える、
それが原因や責任を追求するという意識を弱め同じ失敗を繰り返したり、
大きな損害が出るまで何も対処しないといったデメリットもあります。

なので、自分がどちらによっているか把握したうえで、
バランスよく取り入れるのが一番いいと考えてます。

原因や責任はきちんと追求し必要な対処をする、
だけどそれが尾を引かずまたすぐ前に進めるように、
精神的なケアもきちんとおこなっていく。

それができればどんなマイナスなことが起きても、
またすぐに前に進んでいけるようになると思いますので、
ぜひ意識してみてもらえればと思います。


では、今回はここまでです。
ありがとうございました。

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