人間は我慢するという機能を持ってはいない

人間って究極的には我慢する機能を持たない生き物だと思ってます。

より正確に言うなら人間は不足したものを満たそうとする方向に動く、
そういう機能を生来的に持っていてそれは稼働し続けるものであるために、
満たされたという感覚を得ない限り何かを集注しようと無意識に動く。

この無意識の動きは意識で一時的に自制することは可能でも、
根本的に我慢し耐えるということは不可能。

ようは、人は自分が満たされない限り常に自分にエネルギーを集注する、
自分という存在を我慢することができないのですね。

故に、自分勝手になり他人に配慮できない場合というのは、
根本的に満たされない何かがある、満たされないという感覚があり、
だから常に周囲からエネルギーを集めようとするのです。

また、どんなエネルギーを集めようとするかによって、
何に対して不足感を抱いているのかを大まかにですが判別できます。

例えばお金を集めようとする場合は現状、あるいは過去において、
お金が不足していたことで満たされない感覚、
お金さえあれば得られたと思っている何かがあった可能性が高い。

他にも手段を問わず誰かの注目を集めようとする場合は、
自分が周囲から認識されていないという感覚、
社会からの疎外感や孤独感を覚えている可能性が高いでしょう。

ステータスだと思われる経歴や肩書を極端に押し出す場合は、
認められたという感覚が乏しく自信がない可能性が高いなど。

何かが不足しているという感覚が無意識に何かを集めようとする、
それが客観的に見ればあまりにも馬鹿らしい行動に見える時もあり、
だけどそれはあまりにも狭い認識範囲しかないなど場合を除き。

頭が悪いとかではなく自制心の問題なのです。

無意識の根本的に我慢できない集注したいという欲求が、
自身の意識的な自制力を超えて肥大化してしまった時、
それが行動に現れたに過ぎない。

故に、誰であれ客観的に馬鹿らしいと思う行動に走ることはあり得る、
人の振り見て我が振り直せとは極めて示唆に富んだ言葉だと言えます。

自分の行動やそれが周囲に与える影響をきちんと制御したいと思うなら、
この特徴は誰であれきちんと把握しておくことが大事になるでしょう。

で、把握するうえで1つ気をつけたいのがこの不足の感覚とは、
極めて無意識的な主観によるということです。

現実に即しているかどうかに関わらずそうだと主に無意識が思っている、
身につけた常識や知識や積んできた経験などから導き出されるもの。

ですから、例え意識的には何かおかしいなとか思ったり、
時に明確に間違っていると感ずるところがあっても、
そのまま突っ走ってしまうということがあり得る。

そもそも集注が過剰になる時はあまりにも満たされないという感覚が強い、
常に不足してたとか自制し過ぎて反動が一気に出た時などであるため、
なおさら意識的な影響が及びにくくなる。

現実的に考えれば違うよねということも自身の主観的世界に従って、
時に取り返しの付かない行動に走ってしまうことになりかねない。

なので、とにかく集注の度合いをうまくコントロールすることは、
きちんと意識しておくとよいと思う。

繰り返しになりますけど集注は無意識の欲求であるために、
根本的に我慢するということは不可能です。

必ずどこかで不足したエネルギーを集める必要があるし、
それを無理に自制すれば後で必ず大きな反動が来る。

不足や反動が大きければ大きいほど後の集注も大きくなる、
逆を言えば不足や反動をうまく満たすことができれば、
完全に自制できないほど大きな集注は起こさないですむ。

このことは頭の片隅にでもおいてみてもらえると、
うまく行動等を制御する助けになると思いますよ。


では、今回はここまでです。
ありがとうございました。

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