運が良いということ、開運するということ

運びと書いて運、運が良いとはつまり良いと思える結果に、
自分自身が自然と運ばれていくという状況を指します。

ではなぜ自然と運ばれていくのでしょうか?

まったくの偶然の積み重ねによってということもあるでしょう、
特に意識したわけでもないけど都合よく物事が運んでくれる、
大抵の人が考える運とはこういうものだと思います。

ですが、こういう偶然の運の方がむしろ珍しいうえに、
一時のものでしかないことの方が実際は多いでしょう。

しかし世の中には長い目で見ても常に運が良いように見える人がいる、
自他ともに常に物事がスムーズに運んでいると思える人がいる。

本当の意味で運が良いと言える人が確かに存在する、
そういう人とそうでない人の違いは何でしょうか?

個人的に思うのは道の多さだと思うんですね。

繰り返しになりますが運が良いとは運びが良いということで、
当然、何かを運ぶためにはそこにつながる道が必要になる。

で、この道というのは人間の場合、必ずしも物理的なものを意味しない、
現実に沿っているという前提が必要ですが観念的な道があり得る。

例えばですが失敗は自分が成長するための過程という観念がある場合、
少なくとも主観的には悪いことではなく良いことになります。

そういうポジティブな態度で接していればその瞬間は失敗でも、
先々を見た時にうまく失敗を乗り切っていたりそれをバネにして、
より良い結果を手にしたりということが多くなる。

それを見た周りも何だかんだでうまいこと物事が回るなと、
運が良いなと思うこともあるでしょう。

人間は精神的(観念的)にある現実に対して道が開かれているのであれば、
それが良い地点へと続いているものであれば無意識下の思考によって、
自然とそちらの方へと運ばれていくような感覚を得られる。

あるいは引き寄せられると言ってもいい。

同じような価値観や思想を持つ人が自然と引き合い繋がりやすいように、
ある道とその先の結果と同じような性質が観念として確立されてるなら、
結果の方が自然と自身を道を通じて引き寄せてくれる。

それが運が良いということではないかと考えてます。

故に開運とはつまりまず観念の道を開くという作業ではないかと思う、
現実は一朝一夕に変わることはそうない。

だけど観念は時に一瞬で変わり新たな道を開くことがある、
道が開ければ歩んでいくことができるようになる。

ざっくり言えばそういう道があると知り心から信じられる、
信じるような方向性の観念、精神性を持つことによって、
そういう結果につながる言動を自然ととれるようになっていく。

結果、物事がうまく運ぶようになる、運が良いと思えるのでしょう。

であれば運が悪いとはその逆で道を閉ざす方向性を指すと言える、
ある現実をきっかけにそれ以外の道も観念的に自ら閉ざしてしまう。

例えばある1つの失敗であらゆることを悲観的に考え出したり、
過剰になると自分自身という存在自体を否定してしまったりなど。

そうなれば挑戦することや試行錯誤することができなくなる、
道を模索するという選択自体が失われあらゆる道は閉ざされたまま、
どこに向かうことも向かおうと思うことも観念的にはできなくなる。

結果、自身は停滞するのだから後は現実に流されるままになるしかない、
あらゆるものに振り回され何も良い方向に物事が運ばないと、
運が悪いと思うようになるのではないかと思います。

ちなみに運が良いは自他ともにそう思う場合が多いんですけど、
運が悪いって人に向かって思うことはそうない。

大抵は自分が自分に対して思うことが圧倒的に多い、
それは先に話したように良いことも悪いことも、
偶然それが起き続けるということはそうないからでしょう。

客観的に見ても本当に悪いことが起きることはある、
しかしそれが続くことはそうない。

だから他人から見れば普通に見えることが多い。

だけど観念的にあらゆる道が閉ざされている状態の本人からすれば、
些細なことも大きな障害に感じられることが多くなるために、
偶然悪いことが続いている、運が悪いと思えてしまう。

逆に運が良い人は観念的に道が開かれているため自覚はなくとも、
良いことが続くのはある意味で能動的な選択の結果と言える。

自覚的でないけど能動的に良い物事を連続して引き寄せるので、
自他ともに運が良いと思えるような状況が生まれるのだと考えます。

と、いろいろお話してきましたがもし現状において、
運が悪いと思っている、運を良くしたいと思っている。

そのような気持ちがあるなら以上のことは意識してみると良いと思います。

よくお話することですが人間を動かすのはまず観念であり、
観念が動かなかれば一切の行動から能動性が失われる。

そうなれば些細な現実の動きも自身を振り回す脅威、
まるで大災害のように感じられることもあるのです。

もちろん人生を歩んでいれば本当に運が悪いと思えるような、
偶然起こる大きな障害にぶつかることもあるでしょう。

先に話したように現実が一朝一夕に変わることはそうない、
どうしようもない現実を前に右往左往することもある。

それでも、観念的に道が開かれていれば現実がどうであれ、
より良い現実に向かって一歩を踏み出すことはできる。

正しい方向へ歩み続けていれば道が続く限り近づいていける、
その過程で運が良いと思えるような物事の運びに巡り会えるでしょう。

もしかしたら綺麗事だと感じてしまうかもしれませんが、
少なくとも観念的に道が閉ざされているのであれば、
先に話したように現実がどうだろうと運は悪くなる。

であれば常に道を開いていく方が少なくとも今よりは、
良い運びを生み出す、良い歩み方ができるようになると思う。

望むあり方ができるのではないかと思うのです。


では、今回はここまでです。
ありがとうございました


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