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思考が大事という自分の理念を改めて考え直し形にしてみる

はじめにお話しておきますがこの記事は僕の理念、
情報発信とか人と関わるうえでもっとも大事にしているものを、
一度じっくり考え直してみようと思い書いた記事です。

公開することで改めてそれを大事にしていくという、
決意表明のような側面もあります。

なので、興味がないならせっかく開いてくれたのに申し訳ないですが、
閉じてもらって別のことに時間を割いてください。

読んでみようという奇特な方であれば誤字脱字や構成などは整えたものの、
基本的には考えついたことをつらつらと書いていったままを残したもので、
内容が飛躍しているところもあることは先にお伝えしておきます。


では本題。

僕はずっと思考こそが人生を歩むうえで大事だと考え続けてきました。

そのために心理学や脳科学の本を読み漁ったり、
色んな人の思想や考え方に触れてみたり、
何もせずひたすら思考をめぐらせたり。

その中で役に立ったことや実生活とかビジネスに応用できることなんかを、
このnoteで定期的に情報発信してきた。

だけど、どうしてこんなに思考が大事だと思うんだろうと、
それだけはいつも疑問だった。

それが原因なのか思考力が大事だとは思っているし、
他の人にもぜひ身につけてみてほしいとは思うものの、
情報発信に一番大事な相手にどうなって欲しいのかという具体性がない。

情報発信しそれを時間を使ってわざわざ読んでもらってる、
そんな人がいるにも関わらずそれが申し訳ないなとも思ってたのです。

ですから、一度じっくり考えてみようと何をしていても、
ずっとそのことが頭の中をぐるぐる回っている時間が過ぎた。

で、とりあえず1つの答えとして出てきたのが、
思考っていうのは人が唯一完全に自由になれる領域で、
思考力を身につけるっていうのは本当の意味で自由を獲得する過程。

僕は誰であれ思考力を身につけてもらうことで、
もっと自由になってほしいと思ってたんだと思ったのです。

現実っていうのは絶対に自分の自由にはなりません。

自分と自分以外のあらゆるものが接し、何かを形作るものだからです。

もし、自分は現実を自由にできて不自由を感じたことがないという人は、
何かを妥協してその事に気づかずに生きているだけか、
不自由なことからひたすら目をそらしているかのどちらかだと思います。

もし仮に現実にあるあらゆるもの全てを理解できて、
何もかもを自分の自由にできるのだとしたら、
多分その人は自ら命を絶っているでしょう。

だって、生きてするべきことも意味もなにもないでしょうから。

現実は不自由で思いもよらない困難や苦しみにぶつかって、
もう何もできないと思うような時もある。

だけど不自由だから自分の全てをかけたと言えるほど、
考えたり行動した果てに自分と周りの全てが噛み合って、
目標や目的を達成した時それを心から嬉しいと感じることができる。

自分が思いもよらなかった未知のものや状況に触れた時に、
本気で感動することができる。

全ての結果がわかっていて何でも望む結果を引き寄せられるなら、
喜びも感動も何もない空虚な人生しか送れない。

全てがわかるのだから自分がそうなることもまた、
何よりもリアルにわかってしまうでしょう。

そんな世界を生きていける人がいると少なくとも僕は思えません。

だから、現実は不自由でいいと思うのです。

そして、その不自由な現実をより良く生きていくためには、
自分という存在が万全な状態で活動できないといけない。

活動するためにはその源である思考、物事をどう捉え考えるかが、
常に自由でないといけない。

自分が知る範囲であらゆる可能性、価値観を思考の中で想定できて、
はじめてそれを現実にしたいという望みが生まれると思うからです。

知っている範囲内という制限はあれどその中でなら、
人の思考は完全に自由になれてそれが現実を生きる糧になる。

だけど、思考は完全に自由になれる可能性を秘めてるだけで、
実際には思考もまた不自由である場合が多い。

人には意識してできる思考とは別に無意識の思考があって、
自分の知らないところで知らないうちにおこなわれている思考が、
意識して自分でおこなっていると思っている思考にすら影響しているから。

自分が考えておこなっていたと思っていた思考とそれによる言動が、
実は自分の知らないところでおこっていた多くのものに影響されている。

人によってはその意識できない思考の違いを才能と呼んで、
自分には無理だとはじめから諦めたりしてきた。

でも、現代では様々な分野の研究や実験によって、
そういう気づけない思考の実態があきらかになってきて、
自分できちんと気づいて良い方向に導いていくこともできる。

僕は思考についての才能とか自分にはないという言葉が、
思考について学んだり実践する前からずっと嫌だった、
というか違和感を感じていたのですがその理由がわかった。

気づかない思考に影響されているだけであるにも関わらず、
そのことにすら気づけずにもがいていただけだったから。

そして、気づかないまま現実を生きるのは両手足を縛られながら、
それに気づかないふりをして動けないと叫んでいるだけのような気がした。

現実は不自由なものでうまくいかないことも多いですから、
両手足を縛られてうまくいかない理由を持っていることが、
少なからず心地よいと感じていたのではと気づいたのです。

だけど、例えうまくいかないことが多くても自分の全てでぶつかって、
少しでも良く生きていきたいと思うなら思考を自由にする、
そのために思考力を身につける必要があると考えた。

僕が言う思考力っていうのは無意識の思考を自覚したうえで、
自分が望むことのために最大限力を発揮できるよう、
活用していける思考を形作るというものだったのです。

で、最初の答えに戻る。

僕は思考こそが大事だと漠然とした理念によって動いてきましたが、
それがより具体的になった。

『どんな人であれ自由な発想から不自由な現実を生きていくうえで、
最大限力を発揮しより良く生きていけるよう活動していくために、
何にも縛られない自由な思考を形作ることができる。』

そのための力に少しでもなれることが僕が今行動することの、
一番の原動力、理念なんだと改めて実感した。

とはいえ、僕自身が完全に自由な思考を形作れているかと言えば、
まだまだその途上。

知らないうちに影響されていることもあるでしょうし、
知っているのに影響から抜け出せないこともある。

だけど、少なくとも思考が不自由であるということには気づけたし、
自由にするために日々試行錯誤しながら行動している。

少しは進めていると思います。

であれば、その過程で得たものがこれから思考力を高めたいと、
そう思う人に何かしら役立つこともあるだろうと思いつつ、
日々の行動に反映させていこうという結論に達したのです。


では、今回はここまでです。
ここまで読んでくれてありがとうございました。

もし、他の記事なども読む機会があるのであれば、
こういう理念に基づいてるんだなと思いつつ、
少しでもあなたの思考の役に立てば幸いです。

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