人間は常に困難に挑戦しないと虚無感に囚われやすいという話

何かを得れば今よりもっと幸せになれる、満足感や充実感を得られる、
そう考える人って多いと思うんですよ。

特に現代社会は資本主義によってほとんどの価値がお金に変換できるので、
お金さえ稼げば大抵のものは手に入れることができる。

だからお金があれば最高の人生を送れると考える。

しかし、実際には必ずしもそうなるわけではないようである、
大金を稼ぎながら虚無感を感じる人もいる。

理由もはっきりせずいきなり自殺などしてしまう大富豪も存在した、
実質的なものはほぼ何でも手に入るのに精神的な満足感は得られない。

なんでそんなことが起こるのかと考えた時に個人的に思うのは、
人間は常に自分が困難だと思うことに挑戦し乗り越えることがないと、
根本的に満足することができないのではないかということ。

端的に言えば結果ではなく過程にしか本質的な価値を感じられない。

と言うのも、人間って基本的に相対的に物事を考える性質を持っている、
何かしらの基準があってそれと比べることで物事の価値を測る。

お金という概念が人間社会にここまで浸透するに至ったのは、
価値の尺度として活用しやすいことも一因だったと考えます。

ただ、どんな尺度も基本的には主観によるという本質から逃れられない、
お金にしてもある人は1万円にすごい価値を感じるかもしれませんが、
別の人にとってはただのはした金と感じる程度のもののこともある。

あるいはお金そのものにそこまで価値を感じられない人もいるでしょう。

で、ここからが重要なのですがどれだけ大きな結果を得て、
それによる充実感を得たとしても人間はそれに慣れる性質も持っている。

年収100万円の人が1000万円になれば最初の内はその結果に、
またお金でこれまでとは比べ物にならない何かを得られることに、
大きな喜びや満足を感じて幸せになれるかもしれません。

だけど、それも続けばいずれ慣れて当たり前のこととして認識される、
喜びも満足感も薄れて何も感じなくなっていく。

つまり虚無感を覚えていく。

加えて言えばお金で何でも解決できるようになった状態、
それだけのお金を当たり前に稼ぐことが容易になった人ほど、
あるいはそれだけのお金が最初から当たり前にあった人ほど。

お金で得られる、解決できる何か、得られるものに対して、
大きな虚無感を覚えやすいと考えられる。

お金の価値が他の価値と比べて相対的に低くなるので、
お金で解決できたという現実がその価値を貶めるからです。

他にも容姿、才能、良好な環境などはじめから当たり前にあったもの、
そこまで努力とかしなくても手に入る何かで得られるものは、
得られてしまうからこそ相対的にその価値を貶めてしまう。

得たという事実が喜びや満足感につながらなくなっていく、
結果、虚無感を覚え加速させていくことになるのだと思う。

故に、何かを得ることで根本的に幸せになれる可能性は低いと考える。

何かがあればと、何かに大きな価値を感じるのはそれが手元にないもの、
手に入れるのに現状の自分では届かないものであるからで、
それが当たり前に手に入るものになればいずれ慣れます。

結果が人生をずっと幸せで充実的なものにしてくれることはない、
だから高い理想とか志を持つことが大事なのではないかと思う。

一生かかっても到達できないかもしれない、手に入らないかもしれない、
そんな何かに向かって常に学び考え行動し続ける。

小さな目標を1つずつ乗り越えていくことが、
本質的な幸せや充実感に繋がるのではないかと考えます。

端的に言えば今、自分が求めているものを到達点とするか、
それとも過程の1つでありさらなる何かを見られているかで、
幸せ等の認識の仕方が変わるということです。

このことは意識しておくと良いのではないかと思います。


では、今回はここまでです。
ありがとうございました。

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