托卵論争から曖昧な脅威という危険について考える
先日、以下の記事を読んだ。
托卵問題については存在だけなら知ってはいたものの、
生まれてからずっとバレないまま育てさせ続けるというのは、
ネット上の真偽不明な体験談や物語でしか知り得ず懐疑的であった。
ですが、この記事内でSNS上の意見とは言え托卵に対する認識を読んだ時、
この程度の認識であれば実際にあり得るかもと思ってしまったのですが、
とりあえずここでは実在の有無は置いておく。
この記事では托卵に対してなぜ男性と女性でここまで温度差があるのか、
なぜ女性は比較的軽めの印象を持ちあまつさえそれを表出させるのに対し。
男性は絶対に受け入れられないと、記事内の言葉を借りれば、
レイプが女性に対する魂の殺人であるのと同様に、
托卵は男性に対する魂の殺人であると考えるほど。
重く考え許せないという感覚を強く持つのか?
その理由の一端について考察してみたい。
で、なぜ許せないのかについて先の記事内でもネットで少し調べてみても、
いろいろと意見や理屈を見つけられますがそれらの意見の大半は、
許せないという感情の後付けの側面が強いと個人的には思う。
本質的には托卵という行為自体もそこまで重要なわけでもないと思う。
例えば反托卵の意見として自分の種を次世代に残すことが、
人間にとって重要だからという趣旨のものがありますが、
実際に子供を作る際に種の継承とか意識している人はあまりいないでしょう。
どちらかと言えば動物的な本能の結果と言うより、
愛の結晶とか添い遂げた人と何かを残したいみたいな。
ここまでストレート、露骨な表現でなくとも何かしらオブラートに包んだ、
理性的な表現を好む傾向にあると思う。
本能、無意識とは意識の届かない領域であるが故に、
それは確かに自身に影響を与えるものの、
大きすぎる反応がない限りそれに気づけることは少ない。
ましてや人間は意識的な側面を獲得し理性でも物事を考えるようになり、
表面的にであれど安易に本能に流されることは、
人間としてあるまじき態度だと考える傾向もある。
ですから本能があってもそれが理性(意識)に上ってくることは少ない、
本能の反応が意識にまで上ってそれを自覚することができるのは、
よほど大きな反応であると考えられる。
托卵に対する特に男性の反応はまさしくそういう類のものである、
人によっては人生を歩んでいくうえで絶対に受け入れられない、
許せない、忘れられない、一生モノの傷になるという。
そういう類のものであるように見えますがではその理由は何かと考えると、
先に話したように托卵云々自体にあるわけではなく、
托卵を隠されていてそれが後に判明することにあると思う。
ざっくり言えばそれまで人生を歩んで積み重ねてきたものが、
大きく崩されかねないところに理由があると考えます。
と言うのも、人間には無意識、動物で言えば本能的な思考傾向の内に、
不確定要素や経験にそぐわないもの、認識できないもの等を排し、
安定、安全な状態を維持したいという根本的な強い欲求が存在する。
それは生きたい、種を残したいという本能より強いものである、
と言うより安定、安全であることが生や種の継承に繋がる故だと考えます。
では、安定安全であることを一番揺らがすものは何か?
それは明確な脅威ではなく明確ではないけど脅威があるかもという状態、
端的に言えば疑いをはさむ余地が明確である状態です。
脅威が明確であればそれを乗り越えるかあるいは諦めるか、
方針も立てやすく脅威度にもよりますがそこまでストレスを感じない。
托卵の例で言えば最初から申告されれば他人の子供に対して、
受け入れず離婚などの形で別れるかそれとも受け入れるかなど、
具体的にどうするかをきちんと考えることができるでしょう。
ですが、それが脅威であるのか否かが曖昧でぼやけている状態、
いつ牙をむくのか、そもそも牙をむくことがあるのかすら不明な場合。
常にそれを疑い続ける、安定安全が崩れる可能性が頭をよぎり続ける、
そのストレスはある意味、死ぬよりなお辛いと言えるでしょう。
安定安全を基本的には好む傾向がある大多数の人にとって、
疑いを向けなければならないというのは生きるうえで、
かなり大きな障害となってくるわけです。
故に托卵という行為そのものより托卵をされてるかもという可能性が、
特に男性にとっては大きなストレスになる。
それを感じさせる意見に例えば托卵自体も確かに嫌悪感を覚えるけど、
最後まで騙し切るならまだ良いという趣旨のものが散見される。
これは托卵されることそれ自体よりそれを知ることの方が、
遥かにきついものだと本能的に感じとっている故ではないかと思います。
妻のため、子供のため、家族のためといった社会を渡るうえでの使命感、
それを支える大きな一助がある日突然に崩れ去る可能性を秘め、
そのことを常に疑い続けなければならないという状況を生むからです。
これから結婚することを視野に入れている人からすれば、
付き合う上でそんな可能性があると考えることはきついでしょう。
実際に托卵されその子供を育てていたことを後から知ったとすれば、
経験による支えの崩壊と女性、引いては人間に対する疑心暗鬼故に、
これから先の人生を常に疑いの中で生きていかなければならない。
それは精神崩壊してもおかしくないレベルの衝撃であるように思う、
そういう意味で冒頭の記事内での魂の殺人という表現は的を射ている。
女性にとってのレイプが魂の殺人になるのも托卵と同じように、
ある日突然、異性から想定もしてなかった性的な暴行を受けることで。
人間に対し疑心暗鬼となり疑いの目を向け続けることを強制されるが故、
そういう側面もあるように思います。
托卵とレイプ、両者は異性の魂を殺すという表現にふさわしい、
人間に最大級の疑心暗鬼を植え付ける所業であると考えるのです。
と、いろいろお話してきましたが冒頭でもお話したように、
これはあくまでも要因の一端であり全てではないと思う。
ただ、1つ言えるのは人間にとって曖昧な脅威というものは、
明確な脅威より時に精神を大きく削るということ。
ましてや現代の日本社会のように明らかな脅威がまだ少ない状況で、
疑心暗鬼、疑うことによる安定安全の崩壊の可能性を想定し続けることは、
他の脅威等に気を逸らすことが難しい故になお顕著になるのだと思います。
ですから、この疑いをはさむ余地が明確になる状態を避けるために、
大きく3つのタイプに分かれていくように思う。
1つは他人と完全に精神的な距離を取るタイプ。
情とか倫理道徳観とかを手放し自分を満たすために自他を道具にする、
騙すのではなく騙す側に回るみたいな状態になってしまう人。
こういうタイプは疑う余地が明確になってしまったことの、
防衛反応のような側面もあるのではないかと考えてます。
2つめは動物的な本能を解放して理性を手放すタイプ。
疑うって想像力によるものなわけですけど想像力は意識的な側面、
理性とも呼べる思考傾向により行われるもの。
そのため理性が強い人ほど一度疑いはじめると止まらなくなる、
あらゆる可能性が頭をよぎることとなる。
先にお話したようにそれは人間にとって莫大なストレスとなる、
故に理性を捨てて本能に強く依ることでそれを避けようとする。
性欲等で同じことを繰り返し異性に何度も騙されても懲りないみたいなのは、
理性が強いが故の理性からの逃避という側面による場合もあるでしょう。
そして最後、何があっても精神的に揺らがない自己を確立しつつ、
あらゆることを乗り越えていく思考力や意志を育むタイプ。
これもまた冒頭の記事内容にあった托卵擁護なのか微妙ですが意見に、
誰の子供であろうと受け入れる器が欲しいという趣旨のものがあった。
こういう受け入れて昇華できるような器というのがつまりは、
疑心暗鬼等の苦しみを理性、意識的に乗り越えていきながら、
強い意志を育みいつでも万全の思考ができる人ということでしょう。
とは言え、これは人生全てを通じて手にできるかどうかのもので、
少なくとも他人に簡単に望めるものではないと思いますが、
まずそういう方向性もあると意識しておくぐらいは良いでしょう。
疑心暗鬼、曖昧な脅威の可能性には危険があると理解したうえで、
自分がどうしていきたいのか、どうなっていくべきだと考えるのか。
考える指針として以上のことは意識してみると良いと思うというお話です。
では、今回はここまでです。
ありがとうございました。