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#44 神様のナッジとおせっかいおばさん
我が家の前の道は、右に行っても左に行ってもいくつかのセカンダリースクール(中高一体の学校)がある。親の送り迎えもなくなった子どもたちは、よくまあものを飲み食いしながら歩く。
学校名を問わず、生徒たちがポイと捨てていくゴミもただ事ではないのだ。
時々、見かねて、ゴミ袋を持ってゴミを拾うこともある。
これは、大人になって独立した子どもたちがティーンエイジャーだった頃の、ある日のことだ。
家まであと100メートルほどのところだった。
私の目の前を歩いていた、制服姿の体格のいい中学生っぽい女の子が煙草をポイっと捨てた。
私はとっさに、”Excuse me! You’ve dropped something.” (ちょっと!なにか落としたわよ) と彼女を呼び止めてしまった。
ビクっと足を止めたその子はその吸い殻を拾って、自分のもう片方の手のひらで火を消そうとした。
“Nooo, don’t do it!” ( ダメ~~、やめて!)
“Put it here!” (ここに入れなさい)
とっさに、私は歩きながら拾ってきたゴミの空き箱を差し出した。
いきなり知らないおばさん(しかも見慣れぬアジア人)から呼び止められて、抵抗する間もなく、そこに吸い殻を差し出す女の子。
“That’s better.” (このほうがいいよね~) そう言って、それを受け取った私。
それはほんの一瞬のことだったのだが、
『えっ、私今なにした?』って正気に返ったら、『ぎゃ~~っ』って感じでスタコラ家に走って帰る‥‥
家に着くやいなや子どもたちに、「ひゃあ~こわかった~。今、大きな中学生の女の子が煙草のすいがら捨てたから呼び止めちゃったよぉ。はぁ、はぁ、はぁっ‥‥」
まだ息切れしている私は、すぐに子どもたちに今自分のしたことを告げる。
その子と同じ年代だった子どもたちは冷ややかに、「かあちゃーん。それ一番イヤミなやつやで~」と、
せっかくの私の勇敢な行為をディスる。
煙草を捨てたと分かっていながら、「何か落としましたよ」と言うくらい嫌味なものはないというのだ。
そして、こんな小さな私が今度仕返しされたらどうすんだ?と心配されてしまった。
私はなんでこんなことをしてしまったのだろう‥‥
❶中学生が煙草を吸うのはダメでしょう。
❷しかも制服。しかも歩き煙草。
❸道にゴミを捨てるのはダメよ。
❹見えてしまったから、注意するのは大人としての義務だろう。
考えたら理由はこうだった。
‥‥のだけれども、
もしこれが怖そうなお兄さんだったなら、こんなことしただろうか‥‥
答えはきっとNoだ。
いい大人の義務はどこへ行った?
なら私は相手が女の子だから、年上の自分が優位だから注意できたのだろうか?
それも違うかもしれない。
私は、その子に自分を重ねたような気がする。
なぜそう感じたのか、明確な説明はできないが、その子は
自信がない子に見えた。
そして親と何でも話し合える関係にないのでは、と思った。
確かに、見知らぬ大人から、煙草を捨てたことを咎められるのは、バツの悪いことだったろう。
私だっていつもこんな勇気があるわけではない。ただあの瞬間は、なにかにポンと背を押されたのだ。
クリスチャンの友なら皆、『神様のnudge』 (ナッジ)=肘で小突くこと だと言うだろう。
あの時、あの女の子は私のことが嫌だっただろうなぁとずっと思っていた。
でも私は祈った。あの子のことを。
神様のナッジは、時々やってきて、普段の私ならやらないことを『ほら、やってごらん』と突きつけられる。
もちろん「いやです」と言ってもなにも起こらない。
ただ神様の視点は、地球なんて一目で見渡せているわけで、『時』の観念だって見通されている。
こちらは神様だけがご存じの理由に信頼して、ナッジに従うだけなのだ。わからんけど‥‥
大人になっただろう彼女がこの道を通る度に、
自分を呼び止めたちいさなおばさんの行為を
今なら懐かしく想ってくれていることを‥‥願っている。
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