#195 母への憧憬|#春ピリカ応募
北村靖江。病室の入り口にその名を見つける。
幾度となく夢に見、想像を膨らませてきた。
病床の老女の前に、長男の涼介を突き出すようにして近づいていく。
三月の肌寒い日に、身震いする思いでここに来た隆の顔が、その意思とは裏腹に紅潮するのを感じた。
今年で40歳になる斉藤隆は、人生に迷っていた。
どんな仕事に就いても長続きしない。
子どもの頃から辛抱強く何かを成し遂げることができない。
家族の愛し方がわからない。
なぜ物事が思い通りにならないかといえば、どうしたって自分の原点を責めずにはいられないのだ。
自分には、隣りで一挙一投足を見守り、褒めたり励ましたりしてくれる人がいなかった。
そういう存在なしで育つと、自分のようになるのも無理はないという‥‥ そう何かの本で読んだ時には切なさや怒りよりも、深く納得に包まれた。
今朝も、長女の弥生から「お父さんとは口もききたくない」となじられている。
物心ついた時には母がいなかった。
隆の母、靖江は自分に非がないにも拘らず、父、寛治の女遊びを問いただしたことで家を出された。もちろん跡取りである隆は連れて出ることを許されずにだ。学もなく、法の知識もない田舎ではこんなことがまかり通る時代があった。
隆にたったひとつ残されたのは、生後半年の隆を支える母の指だけが写った写真だった。
隆は知る由もないが、家を出る前に、靖江が持って行けた唯一のものだった。
継母が弟や妹たちだけをおやつに呼ぶ時、自分の通知表にだけ誰も興味を持たない時、隆はその写真の母の指を擦り切れるほどに撫でた。
そして賞状や通知表を破って捨てた。
風の噂で、実母が近隣の町に居ると聞いた、その時からだ。弁論大会に出場し、青年団の団長を務め、やがては町議に立候補した。新聞に載った自分の名が母の目に留まるように‥‥ 隆を産んだことを誇りに思ってほしい、それだけが原動力だった。
ほんとうはその指で、ほっぺたを突ついてほしかった。
頭を撫でてほしかった‥‥
連絡をもらい隆がここに来れたのは、最期の願いを、と靖江が自らの家族に懇願したからだ。
8歳の涼介を連れてきたのは、母が見ることのなかった子ども時代の隆の面影を孫の中から見つけて欲しかったからかもしれない‥‥
靖江の指差した床頭台の引き出しを
促されるまま開けると、古いあの写真があった。
「あ、この写真」
隆の中から熱いものが込み上がる。母の頬にも涙が伝っている。
「か あ ちゃん」
「たかし~ぃ、かんにんやよ。かあちゃんをかんにんしてやって」
靖江は隆の胸にすがっておいおい泣いた。
心のつかえが取れたのだろう。その日のうちに靖江は逝った。
最後に母と絡めた指、
もう写真のようなしなやかな指ではなかったけれど、
それは40年恋焦がれた温もりだった。
生まれて初めて地面に根を張ったような感覚。
もう一度妻や子供達と向き合おう。
愛していると伝えることから始めるんだ。
もうそれまでの隆ではなかった。
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