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住吉神社

北斗七星のひしゃくの柄の一番先、地理的には最も南に位置するのが住吉神社だ。

赤印が住吉神社

曽於市の中心から少し南進したところにある。表参道と裏参道があり、最初表参道から入ると道路がぼこぼこで、車を気づけそうであったが、今はきれいになっている。私は裏参道から行くようになってからは裏参道で行っている。
久しぶりに来たら、鳥居が一新されきれいでかつがっしりとしたものとなっていた。以前のは木製で下部が腐食していたが、今度のはコンクリート製の土台もあり、朱色が朝陽に映えていた。

住吉神社の新しい鳥居

表参道は横に流鏑馬場が平行している。ここも以前い比べ整地されきれいになっていた。住吉神社のホームページが昨年できたようで、その最初のお知らせがこの第二鳥居の竣工(2022年7月)、第一鳥居の改修(2022年8月)となっている。
流鏑馬は毎年11月第3日曜日に開催されるそうで、住吉神社のホームページに写真等が掲載されている。

この住吉神社は住吉三神である、底筒男命(ソコツツオノミコト)、中筒男命(ナカツツオノミコト)、上筒男命(ウワツツオノミコト)が祭神。創建は古代で、伊弉諾尊(イザナギノミコト)が近隣の檍原にて禊祓をされたとの言い伝えがあるそうだ。

曽於市としても文化財として大事にしていると思われる

霧島の北斗七星のポイントの共通項は高台あるいは山中にある、磐座がある、高千穂峰が見えるの3つとのこと。したがって、どこも石段を上る必要がある。ここ住吉神社も例外でなくかなりの数の石段を擁している。63歳で運動不足の筆者には途中で立ち止まりながらようやく社殿のあるところへ。

この石段は優に100段はある

社殿のある手前に杉の大木がある。
この杉は台風で大枝が折れ、本殿に落ちたがかろうじて軒先に落ち、本殿は無事であったとのこと。一方、大枝が落ちた大杉に残った枝がまるで龍が本殿に向かうようなレイアウトで残り、神龍と呼ばれている。
しかもこの龍は東霧島神社から飛んできたと言われている。東霧島神社も北斗七星の一員である。

杉の木に龍が突き抜けて頭を出しているように見えるだろうか


赤で囲んでみた、よく見ると眼らしきものが見える

本殿はコンパクトなイメージ。こちらも数年前に改修されたようだ。

社殿

この裏手、山の上に磐座がある。
ちなみに、磐座とは、巨石が祀ってあるもので、古代の神社は巨石を祀る祭祀施設であったと言う。古神道に基づく信仰形態で「磐座信仰」と呼ばれている。
最初に神秘的な巨石が存在し、そこが信仰の対象となり、後世に社殿等の神社ができたという説がある。磐座には神が宿るとか、神との交信の場とか言われている。

境内の左手に昇り口があり、土と木で造られた登り段がある。

この祠の右側に登る道がある

かなりの急こう配を登っていくと、そこに姥石(うばいし)があった。自然石なのかわからないが、先が尖った石にしめ縄がある。

周りにも縄がはってある
姥石 尖っている
さほど大きくはないこの尖っている石で高さ1mはない

この地点がほぼ頂上だと思われる。高千穂峰は木々にさえぎられて見えない。この部分だけ盛り土しているようにも思える。
そばに説明看板があった。

史跡として曽於市の指定文化財に

二基あるとされているが、写真の姥石の右手にいくつかの石が並んでいる。鳥居龍蔵博士は調べると人類学の草分けで東アジアおよび国内のフィールドワークで知られている。なぜか宮崎県の調査(に宮崎県知事の依頼で北川の可愛岳の巨石群を調査したらしい)をおこなっている。この姥
石が日向と大隅の境石と言われることから境界としてここまで来たのか。

さらに調べると鹿児島に調査に来ている。(以下、引用)
「鳥居龍蔵は、2度にわたって鹿児島で本格的な調査を行った。第1回は、1929(昭和4)年6月24日から27日までの間、巨石遺跡や山陵などの調査を行ったものである。同年5月4日から7月8日まで、妻のきみ子と共に行った大分県や宮崎県での調査の一環であった(鳥居 1929)。 第2回は、鹿児島県からの依頼により、1930年3月3日から21日まで行った調査で、各地を訪ねた本格的なものであった。同行した娘の幸子が、主として遺跡や遺物等のスケッチを行った。また、鹿児島県側からは、竹下教育主事が全日程随行したほか、山崎五十麿(県史跡専門委員)が案内を兼ねて日程の前半を中心に随行して協力した。さらに、地元の新聞報道から、学校や研究者等が、資料の提供 や採拓等への協力をしたことが分かる。 第2回調査の行程や成果については、鳥居龍蔵・幸子の報告、同行取材した鹿児島新聞などの記事か ら明らかにされている(鳥居 1930、池畑 2014)。概要は次のようなものである。3月1日、東京を出 発。3月3日に鹿児島市に到着。3月4日、県立図書館で、調査日程の打ち合わせ。21日まで鹿児島県内 での調査。また、鹿児島県内各地での調査期間中、講演会も精力的に行った。鳥居の鹿児島での調査 対象は、縄文時代、弥生時代、古墳時代と歴史時代の遺跡と遺物、さらに巨石遺跡(ストーンサーク ルやメンヒル、ドルメン等)であった。」(出典:鳥居龍蔵の鹿児島調査関係スケッチ帳 下田 順一・大原 賢二 徳島県立鳥居龍蔵記念博物館研究報告)
これによると住吉神社では古墳の発掘もおこなっている。地元の伝承等でなにかあると踏んだのか。なにかきっかけがないと発掘までしないだろう。
ここ、姥石にストーンサークルがあったり、ドルメンがあった、あるいは埋まっているとしたら、、ロマンを感じる。

次は同じ曽於市の高之峯神社へ向かう。

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