寝る前の詩

退屈に色彩を
子守唄に愛情を
虚しさに希望を

夜だろうが太陽は存在しているのだ

心に鏡を 心鏡の湖

いつも自分をなだめてくれるのは自分だった

孤独の愛人 心鏡の湖

着飾った言葉は書けません
裸の言葉しか書けません
しかし、泥まみれの体には誰も近寄りません
それでいいのです
あえて泥を塗っているのです

泥にまみれた人 心鏡の湖

あなたはいつも雨を喜んでいた
おかしな人だった
気弱でありながらも、どこか自由だった
感情が乏しくも、行動に優しさがあった
雨で冷えた私は、心の中にある暖かい感情を知る
間違いなく恋心だった
「そんなことあるわけがない」と、私が感情を抑え込むほど、私は苦しくなっていった
恋煩いで食事が喉を通らなかった
浴室で涙すらした
疎遠になった幼なじみに、今さら恋をするなんて

無題 未理(ケチャップ王国 第一部ヒロイン)

書き終わった。てか、今思えば、とらみりの関係って最初は疎遠なんだよな。回覧板を渡すとか、登下校の道が同じというだけで、あまり接点がなかった。しかし、みりが川で溺れているところをとらが救出したことで距離が縮まったのだ。(実際に救出したのはとらではない。船頭もしくは警官であるが設定を忘れた おいおい)

さらに執筆当初にはない設定だが、昔はみりがとらのことを意識していた。それは、とらの母親が冗談交じりで「将来のお嫁さんになるかもしれない」と発言したため。とらはまったく興味がなかったが、みりは数少ない少女マンガの影響もあってか間に受けていた。

それからというもの、とらは反抗期とオタクという扱いづらさを極め、みりはまったく意識から外れていた。

意識しはじめるようになったのは、とらが高校に入り、雑貨屋の店番を任されるようになってからである。とらと出会う頻度が増え、商売しながらもマイペース(がさつ)なとらに、自分にはない素質があると思うようになる。

みりもとらには負けてはいられないと思ったのと、イメチェンをしたい(あまり変わってない)、お小遣い稼ぎをしたいといった理由から服屋の手伝いを始める。すると建物は道路を挟んで相向かいであるため、姿を見る機会が増え、それが次第に興味や好意の基盤となる。

詩にある好意は小学生時代の感情とは異なり、本当の恋愛感情である。目に見える距離なのに遠く感じる。「私のような堅物がとらさんを振り向かせることなんてできない」という気持ちがみりの涙につながる。あとは川溺れの一件と本編通りか。本編が8年前だから書き直したい気分になることもあるような、ないような。

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