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みずいろ一人旅/長野編②(湖畔にて)

(1日目の記事はこちらから)

・2日目、朝食を食べつつ、昨日もらった中山道のガイドマップをぱらぱらと読む。木曽路の端から端まで丁寧に説明がつけられていて、読み物としてかなり楽しい。道についての注意ポイントなんかもめちゃくちゃ具体的で、いつか一部でも歩いてみたいな、とつい思わせる良い冊子でした。

めくるとずーっと道が続いていく作り。楽しい。
ちなみに朝ごはんは喫茶店のスープカレー、
しっかりスパイシーで手羽元や卵も入ってて490円。

・電車から見えた山並みの一部がちょびっと白くなっており、あっ雪だ〜!と思ったけど、本来ならきっともっとがっつり白いのでは。
昨日から本当に寒くない。今日もワンピースに軽めのウインドブレーカーで、天気悪くて日差しがないのに、マフラーも要らない。今後こんな冬が増えていくんだろうか…。

・上諏訪に到着。地図上での下(南)が上諏訪で上(北)が下諏訪なので一瞬混乱する。

・上諏訪駅、駅のホームに足湯があった。駅前とかにあるのは見たことある気がするけど駅中にあるのは初めて見た…。

・諏訪氏の居城、高島城の中の展示でこの土地を描いた浮世絵の複製をいくつか見た。なるほど、天気が良いと富士山が見えるのか、それは絵になるやろな〜。凍った諏訪湖の上を人や馬がぞろぞろ歩いている絵があって、私も歩いてみたい。

諏訪氏の在城260年の間一度も百姓一揆が起きませんでした、と書いてある。それってどのくらいレアなんだろ。
高島城、めっちゃ鴨いる。

・正午になると町内無線でエーデルワイスの音楽が流れた。なぜエーデルワイス??

・諏訪、歩いていると360度どっちを向いても同じくらいの高さの山にぐるりと囲まれており、その真ん中は大きく湖で、人はその間のかなり狭い範囲内に閉じ込められているような感覚があった。神戸も山と海の間の狭い街だけれど、やっぱり海は海なので外に開いている感じがあるし、全方位が山なのとはまた全然雰囲気が違う。私は慣れなくて少し息の詰まる感じもしたけれど、ここに生まれ育ったら山に抱かれているような安心感があったりするのかな、と考えるなどした。
でも水辺は天気によってかなり印象変わるから、晴れて水面きらきらの日に来たらまた全然違うのかも。いつかまた富士山見に来たい。

・諏訪湖周辺には、小規模な美術館がいくつか点在している。軽井沢とかも美術館の多いイメージだけど、長野って美術館多いのかな。(ちなみに小規模水族館が点在する、では和歌山が暫定最強です、私の中で)

こちら、下諏訪のハーモ美術館です。

・美術館に入るとすぐにダリの彫刻、"PROFIL DU TEMPS(時のプロフィール)"があって、これは撮影OKとのことだった。べろんと歪んで垂れた時計が木の枝にひっかかっているブロンズ像。説明書きはこんなふうだ。

ダリがブロンズで制作した7点のうち2点目の、大変貴重な作品。
カマンベールチーズを食べた時、ダリの中に柔らかい時計の観念が生まれた。この現実を超えた時計のモチーフは、数多いダリの作品の中で繰り返し現れている。忙しい毎日の中、時が止まってほしい、永遠を手に入れたいという願いを、時計を溶かし歪ませることで 実現させた。

そんなん言われたらもう溶けたチーズにしか見えない…。でも、"忙しい毎日の中、時が止まってほしいという願い"はものすごく普遍的というか、そっかーダリもそうかー、となんだか嬉しくなる。そうして見てみると時計の横顔はとても安らいだ表情をしていて、いいなあと思った。みんな知っている通り、どんなに今この時が続けばいいのに、このまま止まってしまえばいいのにと思っても時は止まらないし、私たちの心に寄り添うことなくきっちり進んでいってしまう。穏やかな時はやがて過ぎ、次のしんどいことがちゃんとやってくる。だけどこの像のうちでだけは、時計も穏やかに眠り、まろやかにとろけている。創作物って自由だ。願いをそのままに実現しちゃうことができる素敵な装置。

安らかな横顔。(…鼻水垂れてる…?)

・ほんとに小さな美術館だけれども、好きだなと思う絵がいくつもあって個人的にすごくよかった。特にカミーユ・ボンボワという人の絵が衝撃的に良くてびっくりした。「栗の木林」という作品があって、わさわさと金色の葉をつけた林の中の小道をふたりの人が小さく歩いている、それだけの絵なんだけれど、見た瞬間、これは私の見たかった景色だと鮮烈に感じた。
こういうものが描けたら私は写真なんていらないな、私が残したいと思ってせっせと写真を撮っていることの意味が全部ここにある、と思った。

ポストカードを買ったけれど全っ然良さが出ていない。
生で見られてよかった、印刷ではこの凄さに一生
気づかなかった。

・全体に、40代、60代、そして70代と人生の後半になって本格的に絵を描き始めたという画家の絵が多く、そこからこれだけのものが描けるというのは勇気づけられることだ。
それに、他の仕事を長くやっていた人の絵には、その人の経験してきたものが確かに宿っていると感じた。例えば40代から描き始めたという植木屋出身のアンドレ・ボーシャン、彼の絵には植物や鳥、風景に対する優しさ、慈しみのようなものが全体に漂う。絵描きとしての自己主張みたいなものが薄くて、長く植物の側に寄り添ってきた人間の、対象物への素朴な愛、ただそれらが好きで、その良さをそのままに写し取りたいという素直な筆致が、逆に可愛らしい個性になっている。
絵画は学んでいないが工業学校卒というルイ・ヴィヴァンの絵は、人も木も犬もそして建物やコンクリートの地面といった無機物まで、すべてが同等の生気を持って描かれているように見える。この人全然人のことを特別だと思っていないし、きっとほんとに建築物のことを犬ぐらい可愛く思っていたんだろうなと思った(全然違ったらごめん)。彼は60歳過ぎまで郵便夫として働いていたそうだ。どちらの絵も私はかなり好きだった。
「ずっと絵を主業としてきたわけではない」ということはずっと画家をしてきた人間には持てない経験で、もちろん逆もまた然りなんだけれども、ともかく自分がやることをやっていけばどのようにでも道が開けることはあるよな、というようなことを思った。なんだってちゃんと活きると思いたい。自分にしか持ち得ない経験を、その時々で精一杯やっていけばよいのだ。きっと。
(あとで調べると、彼らは正規の美術教育を受けていない、素朴派と呼ばれる人たちとのこと)

館内風景程度なら撮っていいよ、と書いてあったので。
こちら私の推し、カミーユ・ボンボワのコーナー。
吹き抜けのホールのような部分もあり、小さなコンサートなどがあるようでこの日はピアノの調律をしていた。
日も暮れてきました。

・上諏訪に戻って観光案内所、ここでも生糸商標カード配ってたらしい。気づいた時にはもう営業が終わってしまっていて、別に集めるつもりはなかったけどそうなると少し悔しい。先に気づいていればなあ〜。

マンホールカードなる新たなカードも登場している、
一体全国に何種類の行政制作カードシリーズが
あるんだ…。

・テルマエ・ロマエⅡの撮影地として使われたというお風呂に入った。底に玉砂利が敷いてあるのが面白くて、広くて深い浴槽内を無駄に歩いてしまう。
お湯は無色無臭で、町中で見かけた湧き出し口では硫黄の匂いがした気がしたんだけど、何種類か湧いてるのかな。

大学みたいな建物だけど、煙突がかろうじて風呂屋。
中も大学感ある、ていうか母校にそのまんまこんな
スペースあったぞ。懐かしさ。
横から見るとこんな感じ。ハリーポッターみもある。
ちなみにこれが町で見かけたやつです。亀が可愛い。

・松本に戻り、疲れたので夕食はまた宿で済ませてしまった。代わりにお土産の半生麺(重たい)や胡桃だれ(重たい)、酒(当然重たい)等を買い込んだので明日の帰りが怖い。まあ、なんとかなるなる…。

・そういえば長野の店員さんたち、みんな標準語っぽくて方言をほぼ感じなかった。若干語尾に「じゃん」が目立つくらいか。もともとアクセントにはあまり癖がない言葉なのかしら。

これはおそば屋さんで食べたラーメン。スープが完全に
そばのつゆで不思議だった。けどまた食べたい美味しさ。

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