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内面化された弱さ

鳥羽和久さんの「君は君の人生の主役になれ」を読んで思うこと②

「〇〇さんは、繊細すぎるところがある」

《もちろん状況によっては、自分の弱さを引き受うけることでようやく前に進めることもあるでしょう。「弱くても大丈夫」と他人から言ってもらえることで、ありのままを認められた、だから救われたと感じることもあるでしょう。でも、他人から不当に擦りつけられたレッテルとは徹底して戦わなければいけないのです。「弱さ」というレッテルを貼られてそれを内面化した人は、いつしかそれなしには生きていけなくなります。自分の弱さをあじわうことでしか生きられなくなった人は、自分の殻に閉じこもっていることに気づかなくなります。そして、他者と出会う可能性をみずから葬っていることがいつの間にかわからなくなってしまうのです。》
《学校に行けない。学校で問題行動を取る。子どもがそうなったとき、大人はたびたび「あなたの心のどこに問題があるの?」というやり方で子どもに問いかけます。「この子は自分に自信がないから」「自己肯定感がたりないんじゃないかしら」そんなことを言ってくる大人さえいます。そうやって、良かれと思って近づいてきた大人のせいで、あなたは「私には欠陥がある」「私のどこが悪いせいでこうなったんだろう?」と考えてしまうかもしれません。
でも、そこに罠があるんです。大人はいつもそうやって問題をあなたのせいにする。そのせいで、あなたはいつの間にか大人の設定した問の中でしかかんがえられなくなる。》
《もちろん、あなたの心にも問題くらいあるでしょう。でも、それはあなただけの問題ではないし、あなたが一人で責任を負うようなことではありません。》
《心はあなたの内面にある以前に外部の環境に開かれているのです。だから、心の問題を決して自分だけの問題に閉じ込めてしまわないでください。「あなたには問題がある」「心を整えましょう」などと言いながら、いい人ぶって近づいてくる大人なんて、頭の中で中指を立てて意識から追い払ってしまいましょう。彼らはあなたをどうにか扱いやすい人間に仕立てあげようとしているだけなのですから。》

 「あなたは〇〇なところがあるね。」だれでも、一度はレッテルを貼られたことがあるのではないでしょうか?そして、それは優しさ、親切心からの評価だったと思います。
 私も、長男が小学生くらいまでは“親心”で、言ってたと思います。彼の将来のため、上手くやってくため自己理解としての助言だと思っていました。でも結局、私の不安、私のプライドだったのです。彼がちゃんと反発してくれたことで、だいぶ後になって気づくことができました。
 思えば、私自身ずっと評価に怯えています。たぶん、今でも。歳を重ね、経験を積み【悪い評価】も気にしない(ふりの)術を身につけました。ところが【良い評価】があっても嬉しくないのです。
 療育・教育の現場では子どもたちに「あなたは〇〇なところがあるね。△△に気をつけるともっと〇〇できるよ!」「前は△△だったけど成長したね!」と振り返り、ラベリング、評価を推奨することがあります(私はコレがまったくできませんが…)。評価は子どもたちが、学校や社会で暮らしやすくなるように…という良心で行われています。確かに、社会に適応しやすくはなると思います。社会に適応できたら、生きやすくなるのだと思います。でも…「ほんとかな?」と疑っていて、まだこの答は見つけられていません。
 だだ、子どもから湧き出るものは信じられる。
表情や動きには、彼らの内面がみえ、それを基準に教育をデザインする感覚はあります。それは行動、つまり鳥羽さんのいうレジリエンスです。

 《学校で上手く行かないというのはいかに「弱さ」に見えようとも一種の意思表示なんです。彼らは辛いと感じたり不調を訴えることでレジリエンスを発揮しようとしているのであり…》

 学校や社会に適応しすぎない力をレジリエンス【困難な状況にも化かかわらず、しなやかに適応して生きのびる力】という視点で捉えてみると、子どもの姿がまた違ってみえるのではないでしょうか?


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