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【#5】ツキヨミ/エッセイ


——ずっとそうだった、目に見えるものよりも目に見えないものが好きだった。

 小学校の頃、僕は空を見上げるのが好きだった。
 そこに神様がいると思ったから。そうして、地上の景色を見る度に、僕は自分が持っている確かな、無限の可能性と自分が一生かけても知ることが出来ない世界の全貌と、僕が特別だと思っている僕自身が、無限にある世界では矮小なものに過ぎないかもしれないと云う考えを常に思い出して、武者震いをしていた。
 それでも子供の頃にあった、よろずのものに守られているという確かな感覚が僕は好きだった。
 小学校の六年間、テストで百点以外を取ったのは五回も無いと思う、成績表も、殆ど全部の欄が二重丸だった、三角もバツも取ったことがない。図工で大きな賞を取って全校集会で一人だけ壇上に上がって賞状を貰ったことがある。持ち帰って、褒めて貰ったことが一度も無いから、こんなものに何の意味があるんだろうとずっと思っていた。持ち帰っても誰にも褒められない賞状や盾は高校を卒業する頃には三十個を超えていた。
 かわいそうな賞状達、かわいそうな僕。全部に意味があるのだろうかと思っていた。

 成績表も、友だちも、お楽しみ会も、何もかも、ごっこ遊びだと思った。それでも、学校ごっこに上手く適応出来ている、得点を稼いでいる自分が好きだった。小学四年生のとき、休み時間に鉄棒に宙ぶらりんになって、逆さまになった世界を見たとき「この世界は全部ハッタリだ」と思った。
 僕が住んでいる校庭側の世界よりも、空側の世界の方が何も無いのに明らかに広く感じだ。本物は、本當に重要なものはそっちの世界にあるんだなとその時気付いた。あの日の景色は今でもよく思い出す。

 休み時間にテストの採点をしている先生を見ると、僕は先生が大きな丸をつける度、赤ペンのインクが無くならないかが心配だった。学校の訳のわからない校則、無常に流れていく訳のわからない時間。もどかしい、手持ち無沙汰な空虚な気持ちを持て余しては、空想や妄想に充てていた。
  それがいつしか思春期を経て虚無になった。虚無感を纏った僕を誰も孤独にしてくれなかった、否、そのとき世界に住んでいた全ての人から僕は疎外されていると感じたし実際は孤独だった。それなのに、本を読めば手塚治虫が生きろと言う、お葬式に行けば僕の事情を全く知らない人の良い親戚達が僕を励ます、家庭科の授業で学年の全員で幼稚園の先生をやれば何故か僕の周りにだけ大勢の子供が集まってくれて、帰り際に園児の殆どが僕の元に集まり泣く始末、もう全て勘弁して欲しかった、僕が嫌いな僕のことを、どうしてそんなに皆愛せるのだろうか。僕は愛せない。愛は要らない知らない孤独でいたい消えたい……そんな僕を愛して、一体何になる。

 君だけは、僕の嘘を見抜いてくれると思っていた。ストレスで精神に異常を来した中学時代から、それ以前・それ以後とこの世界に適応しようとする為に、僕がヘラヘラしながら平気でついてきた沢山の嘘たちを。実際、それは嘘では無かった、全て本心だったし、誠実で純粋な僕の精神から紡がれた本當の言葉だったのだけれど、それは世界に適応する為に被っている誠実性や純粋性の仮面から出た嘘では無かったか。

 本當の僕は、触れたら火傷する、ドライアイスみたいに冷たい冷酷な人間だと思う、優しさは冷酷さを隠す武器だよ。炎に近い、危なげな魅力があると云う旨の話は子供時代から言われてきた、それは僕が僕の心に触れるな僕の心が壊れるからと本當の僕を見せない為に張ったバリアのことだと思う。

 形而上学的なものが好きで、目に見えないもののお陰で生きてきた僕は、形而上学的なもので悩み、目に見えないものに殺されそうにもなった。今でもそうだ、ウィトゲンシュタインを読んだとき、僕の頭に浮かんだのは独我論は十七歳の頃に試してみたと云う懐かしみだった。
 その頃僕は僕の世界以外の世界を認めなかったから、周りの人もネットの中の人も物としか思えなかった、だから感情移入が出来なかった。何の興味も抱かなかったから、関わる必要性を感じなかった、そんな物よりも夜に見る夢の方が魅力的で僕は独我論を試した二、三ヶ月、ずっと部屋に引きこもって寝て夢を見ていた。夢を見るのが起きている間の楽しみだった、今ここが夢なのか現実なのかわからなくなるくらいずっと眠っていた。夢の内容は語れ得るから僕にとっては夢も僕の世界だった。未だに思う、夢は平行世界の僕なんじゃないかって。スティーヴン・ホーキングの最後の論文の多元宇宙論を読んだ時、やはり平行世界の存在を否定出来なかった。

 今まで、何かを諦めなくてはならない時、自分が不幸に見舞われた時、何か出来事があった時、それでも平行世界の自分は諦めないで済んだ、こんな出来事が起きずに済んだ、又は夢みたいな出来事が起こった世界を生きていると思ったら、自分が報われた気がしてそれが救いになっていた。だから全て捨ててこれた、心なんて愛なんて生きる邪魔をするだけだと思ったから。

 全てが有象無象に見えるこの世界で、ただ君だけを探してる、僕の嘘を見抜いてくれる君だけを。


 ——君はこの嘘を見抜いて。
 ——君だけはどうか気付いて。




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