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【短編小説】振り向いてよ


 誰もいない道を歩いている。どこにも繋がらない道を歩いている。この未舗装の道はどこまでも続いているような気がしている。遙か彼方、名も知らぬ惑星まで通じている気がしている。そこに辿り着くことがない予感がある。元いた場所に戻ってくるだけの予感がある。わたし以外の誰もいないことだけが確かだ。どこにも繋がらないことだけが確かだ。この未舗装の道はどこまでも続いている気がしている。遙か彼方、名も知らぬ惑星を見下ろすあの虚無まで通じている気がしている。

 わたしはどこに行くのだろう。どこから来たのだろう。わたしは何も覚えていない。誰も教えてくれない。教えてくれる誰かはいない。思い出させてくれる誰かもいない。孤独が真の敵ではないと、あなたは言った。あなたはここにいない。あなたが誰かもわからない。でも、わたしはその言葉だけを頼りに進んでいる。孤独は真の敵ではない。ならば敵とは何? 敵はいつも上から来る。わたしは空を見上げる。無限の夜空が拡がっているだけで、わたしにその存在は認知できない。あるいは、この夜空が敵? わからない。どこに行き、どこから来たのかも覚えていない、誰からも見捨てられたわたしにわかるはずはない。孤独が真の敵ではないと、あなたは言った。あなたって誰? わたし以外の誰もここには居やしないのに。わたしは知らない誰かの言葉を頼りに進んでいる。時折空を見上げ、その無限の夜空に突き放されながら。夜空は敵じゃない。名も知らぬ惑星を見下ろすあの虚無は50光年の先だ。わたしは孤独を噛み締める。きっと、わたしが生まれてから死ぬまでを孤独に過ごすことだけがわかっている。それはきっとわたしに限らず、あらゆるひとたちに共通する事象だと知っている。わたしは孤独だ。わたしたちは孤独だ。等しく孤独のわたしたちは、きっとどこに行くこともどこから来たということもなく、同じところをぐるぐるぐるぐる回って孤独に無意味に死ぬだけだとわたしにはわかる。物事の意味性に思いを馳せながら。存在しないその幻想に取り憑かれながら。わたしたちは孤独に無意味に死ぬだけだ。孤独も無意味も敵ではないと、あなたの言葉だけが道標で、わたしはそれだけをずっとずっと信じている。初めて見たものが親鳥だと信じるアヒルの雛鳥のように。わたしはそれだけを、ずっと、ずっと信じている。


「今年の新入生は奇人変人のびっくり箱だ」と、先輩の一人が言っているのがわたしには聞こえた。入学式の翌日。中庭を見学するわたしたちに掛けられた言葉は、恐らく的外れではなかった。

 地方都市の外れに建てられた、歴史と伝統だけが取り柄のトリィル魔法学校。寄宿制のこの高等学校は、わたしの頭で入れるギリギリの学校で、親には首都の中央学校に行くようにと厳しい教育を徹底されたが、結局、能の無いわたしにはこの学校に入るのが精々で、それだって親の威光が無ければ難しかったのだと無能なわたしにだってわかっている。

 今は16月。ゼージュの季節だから、セゼンの花が満開だ。周回軌道上のエーラトープからは雨のように高紫外線レーザーが降り注ぎ、それは都市を覆うオリハルコニウムとガラスの外壁膜に大半が弾き返されるが、それでもセゼンは敏感にその光を吸収し、こうして一面の青い景色を見せてくれる。それはこの地方都市にとっては目の上のタンコブみたいなものだが、わたしは密かに気に入ってもいる。表明すれば未成年といえど国家反逆罪で捕まってしまうから、決して言葉にしたりはしないけれども。

 わたしとあなたはそこで出会った。

 この歴史と伝統しか取り柄の無い、中途半端な魔法学校の中庭で。

「あなたが一人で歩いているとする。無目的に歩いているとする。その先に待ち受けるものもわからず、何を目指しているのかもわからず。でも、歩みを止めることは出来ないものとする。それは絶対に出来ないものとする。あなたがその瞬間瞬間に考えることが、きっとこの世界には必要だとする。それだけがこの世界を救うものだと仮定する」

 あなたの言うことは、いつもわたしには難しい。

 寄宿舎から登校するときも、二人並んで中庭を歩いている時も、わたしには一人で歩いているように思えてならない。

 だからわたしは曖昧に笑い、小さく首を傾げて、あなたから少し視線を逸らす。あなたはいつも遠くを見ているから、わたしの表情には気付かない。


 思えば、一緒に旅行に行った時もそうだった。

 免許を取り立てのわたしが中古のミラを買って、喜多方ラーメンを食べるためだけに会津若松に向かったあの時も。あなたは免許を取らなかったから、行きも帰りもわたしが運転をする。あなたは助手席でいびきをかき、圏央道、東北道、磐越道の長い道のりの全てを寝こけてわたしを孤独にする。PAで休憩を挟めば、時間がもったいないとあなたは言う。わたしは煙草嫌いのあなたの横で、嫌がらせのようにロングピースに火を点ける。吐き出した煙は黄ばんだ車内に滞留し、あなたは昇降スイッチを押して窓を開けようとするが、助手席側は壊れているから窓は降りず、あなたはそれを思い出して盛大にため息を吐く。

「あなたの無目的な旅路はきっと、この宇宙の始まりから終わりまで続いているに違いない。ベテルギウスには立ち寄った? ベガは? カノープスは? シリウス? それともアルデバランまで? その旅路はどこまでも孤独で、無意味だよ。でもこの世界にはきっと必要なんだ。それだけが、この世界には必要なんだ」

 あなたの言うことは、いつもわたしには難しい。

 わたしとあなたはぬるくて塩辛いだけの不味い喜多方ラーメンを食べて、旅館までの道をそれぞれ孤独に歩く。21時も回ったばかりだというのに、街灯一つ無い古びた街には静寂が降りて、わたしたちは車の一台ともすれ違わない。

 わたしはふて腐れ、絶対にあなたを見ないように視線を逸らす。あなたはいつも遠くを見ているから、わたしの表情には気付かない。

 旅行の言い出しっぺはわたしだった。

 あなたは血の繋がらない父の葬儀に出るのが嫌だからと、わたしに着いてきてくれた。

 でも、こんなことになるなら誘わなければ良かったと、わたしは思っている。もう二度と誘わないと、わたしは思っている。


 氷の惑星サルジュでの探査活動の折りも、わたしとあなたはずっと険悪な雰囲気だった。

 歩けども歩けども、わたしとあなたは中継基地に辿り着けない。華氏-328°Fの、猛吹雪の夜。吹き付けるメタンの雪は視界を遮り、積もったそれはわたしたちの腰まで飲み込み、わたしたちはあと1マイルの距離を進めずに立ち往生する。酸素ボンベの残量を気にしながら、わたしとあなたは息を潜める。空を見上げれば、真っ暗な空からは青く大粒の雪が無限に降り注ぎ、この雪はこのエーデルフェルト系の最も大きな恒星であるガンマ星に一番近づく24年後まで、休み無く降り続けるだろうと言われている。

 思えば、会津若松に行った時も冬だった。16月のゼージュのあの季節も、寒さが厳しく30年ぶりの降雪に見舞われた年だった。

 あなたは早く基地に帰りたがった。血の繋がらない父の10周忌で、あなたは地球の母に向けてメッセージを送りたいと言った。セルジュと地球は50光年離れているから、あなたのメッセージはあなたの母が生きている間には地球に届かない。わたしは当然そう指摘したけど、あなたは見た目とは裏腹に形式を重んじるタイプで、何より頑固だ。わたしの現実主義に過ぎる指摘にも問題はあったけど、あなたはますます帰ると言って聞かず、しかし降雪量はあなたの思いも空しく激しさを増し続け、何の成果も得られなかったわたしたちの基地外調査を嘲笑うように、わたしたちはこうして立ち往生することになる。

「私たちの無意味な旅路はきっと誰にも知られず誰にも覚えていてもらえず、この宇宙の始まりから終わりまでの長大な歴史のどこにも刻まれず、無かったものとして扱われる」

 わたしは反論する。わたしは覚えているし、あなたも覚えていると。

「私たちはここにいない。ここにも、どこにも」

 あなたは言う。

「でも、それはこの世界にとって必要なことなのかもしれない。私には信じられないけど、その無意味こそが、この世界を救うのかもしれない」

 あなたの言うことは、いつもわたしには難しい。

 その後、何とか降雪が弱まり基地まで歩き始めたときも、わたしたちの間に会話は無い。メタンの雪は弱まったとはいえ降り止むことは無く、降り落ちても溶けることなく積もり続ける。わたしたちの行方を塞ぎ、この星の異物であるわたしたちを閉ざすために降り続ける。イヤモニはあなたの荒い呼吸音をわたしの耳に届ける。わたしにはそれがとても耳障りで、でもバディであるあなたとの情報共有を閉ざすわけにもいかず、わたしはその耳障りを受け入れる他ない。


 記憶は重しだ。忘れ去りたい過去。あなたと過ごした日々はわたしの今に昏い影を落とし、わたしがあっけらかんと先に進むことを許さない。

 あなたは死んだ。

 わたしたちがトリィル魔法学校を卒業する前日に。

 同室だったあなたは、わたしが部屋を出た10分の間に首を吊って死んでいた。わたしのベッド上部の梁からぶら下がり揺れるあなたは、清々しい朝の日差しを浴びながら、物言わぬ肉の塊に成り果てていた。

 会津若松から帰った五日後に。

 あなたは駅のホームから身を投げ出し、特急列車に身体を粉々にされて、通勤時間まっただ中のダイヤを1時間も遅らせて肉の破片になって死んだ。

 中継基地から軌道衛星に戻る最中に。

 後部非常用ハッチを開け放ったあなたは、青い雪と一緒に氷の惑星サルジュ地表を目指し、発信器も宇宙服も身に付けずに落下したあなたは、今もその原型を保ちながらこの星の永久凍土のどこかに埋もれている。

 わたしはどこに行くのだろう。どこから来たのだろう。わたしは何も覚えていない。誰も教えてくれない。教えてくれる誰かはいない。思い出させてくれる誰かもいない。孤独が真の敵ではないと、あなたは言った。あなたはここにいない。あなたが誰かもわからない。でも、わたしはその言葉だけを頼りに進んでいる。孤独は真の敵ではない。ならば敵とは何? 敵はいつも上から来る。わたしは空を見上げる。無限の夜空が拡がっているだけで、わたしにその存在は認知できない。あるいは、この夜空が敵? わからない。どこに行き、どこから来たのかも覚えていない、誰からも見捨てられたわたしにわかるはずはない。孤独が真の敵ではないと、あなたは言った。あなたって誰? わたし以外の誰もここには居やしないのに。わたしは知らない誰かの言葉を頼りに進んでいる。

 わたしはきっと無数にいる。あなたが無数にいるのと同じように。

 名も知らぬ惑星を見下ろすあの虚無は50光年の先だ。わたしは孤独を噛み締める。きっと、わたしが生まれてから死ぬまでを孤独に過ごすことだけがわかっている。それはきっとわたしに限らず、あらゆるひとたちに共通することなんだと知っている。わたしは孤独だ。わたしたちは孤独だ。等しく孤独のわたしたちは、きっとどこに行くこともどこから来たということもなく、同じところをぐるぐるぐるぐる回って孤独に無意味に死ぬだけだとわたしにはわかる。物事の意味性に思いを馳せながら。存在しないその幻想に取り憑かれながら。わたしたちは孤独に無意味に死ぬだけだ。孤独も無意味も敵ではないと、あなたの言葉だけが道標で、わたしはそれだけをずっとずっと信じている。初めて見たものが親鳥だと信じるアヒルの雛鳥のように。わたしはそれだけを、ずっと、ずっと信じている。

 あなたと、わかり合いたいと思った。

 それが不可能であることは知れていた。

 わたしとあなたは、きっと、ずっと永遠にわかり合えない。短い生の一瞬だけ交差し、あなたは必ず先に行ってしまう。度胸の無いわたしには、あなたに追い付く方法は無い。わたしはあなたに憤り、あなたに影響出来なかったことを悔いる。どうして先に行かせてしまったのかと、わたしはわたしが終わるそのときまで一秒も休まる暇なく悔い続ける。

「私たちはきっと、どこにも辿り着くことが無いんだね」

 あなたの言葉に、わたしは違うと首を振る。

「私たちはきっと、ずっと孤独に独り言を言い合っているだけなんだね」

 わたしの言葉は、あなたには届かない。

 誰もいない道を歩いている。どこにも繋がらない道を歩いている。この未舗装の道はどこまでも続いているような気がしている。遙か彼方、名も知らぬ惑星まで通じている気がしている。そこに辿り着くことがない予感がある。元いた場所に戻ってくるだけの予感がある。わたし以外の誰もいないことだけが確かだ。どこにも繋がらないことだけが確かだ。この未舗装の道はどこまでも続いている気がしている。遙か彼方、名も知らぬ惑星を見下ろすあの虚無まで通じている気がしている。

 この道の先に、あなたがいることを望んでいる。

 あなたがいれば。

 そしたらわたしは、きっとあなたにこう言う。

「」

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