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アメリカの荒野で撃ち殺されて死にたい(最近見た映画の話・アメリカンニューシネマ)


お久しぶりのnoteです。映画の話をします。

文章の主旨的にちょっとしょうがないのですが、この記事では全面的に映画の内容のネタバレをします。
目次を見て、これはネタバレなしで見たいやつだと思ったら読まない方がいいかもしれません。



・私にとっての映画

私事ですが最近、精神障害者手帳2級が交付されて、私がかれこれ10年以上心の底から求め続けていた「私が困窮した人間であるという証明」が手に入ったということになりました。非常にめでたい。意味がわからない人は別にわからなくていいです。
今まで私に「頑張れ」とか「ちゃんとしろ」とか「あなたはそんなんじゃない」とか言い続けてきた人らに、それ見たことかざまあみろという気持ちでいっぱいです。二度と俺の人生に関わるな。

ところで私は昔から映画が好きです。
そういった「自分は苦しいのになんで」といった憤り、やるせなさ、怒り、憎しみ、希死念慮、全てを映画によって昇華してもらって、救われてきました。

どんな映画が好きかというのはちょうど最近ツイートしてたので引用します。

威嚇行為か?みたいなラインナップですが確かに非常に私の人柄が出ていると思います。

「ファイト・クラブ」「トレインスポッティング」あたりが特に象徴的で、社会・環境・世界に対してクソ喰らえと思っている社会的弱者、反社会的思想を抱えた弱者の映画が好きなんです。
というより、「この世は地獄だということを知っている映画」が好きです。
社会の中にいると、私だけが地獄を見ているような気持ちになるから、この映画たちは私と一緒だ、という安心感が得られるから好きです。

「スナッチ」は単に娯楽映画として好きだったり、同じ理由で「オーシャンズ11」シリーズも好きだったり、
逆に「反社会的クソ野郎でも世界に対して何かすることができる」という希望の提示として「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」「デットプール」が大好きだったりもします。


話を戻しまして、最近自分の生きてる世界の地獄を見に迫って感じたので、そういう映画がまた見たくなって、そこである映画のジャンルを思い出しました。

「アメリカン・ニューシネマ」というやつで、説明に自信がないのでWikipediaから引用します。

アメリカン・ニューシネマは、1960年代後半から1970年代半ばにかけてアメリカで製作された、反体制的な人間(主に若者)の心情を綴った映画作品群を指す呼称。
ニューシネマと言われる作品は、反体制的な人物(若者であることが多い)が体制に敢然と闘いを挑む、もしくは刹那的な出来事に情熱を傾けるなどするのだが、最後には体制側に圧殺されるか、あるいは悲劇的な結末で幕を閉じるものが多い。つまり「アンチ・ヒーロー」「アンチ・ハッピーエンド」が一連の作品の特徴と言えるのだが、それはベトナム戦争や大学紛争、ヒッピー・ムーブメントなどの騒然とした世相を反映していた。それと同時に、映画だけでなく小説や演劇の世界でも流行していたサルトルの提唱する実存主義を理論的な背景とした「不条理」も一部反映していたとする説もある。

私はこれを大学の講義で聞いていて、要するに「反社会的な若者が自由を求めてヒャッホーするけど最後に全員撃ち殺されて終わる映画ジャンル」だともうわかっていたわけなんですが、
今私の求めている「奔放な世界観」や「地獄の現実」に近いものが見られるかもしれない、と思い、視聴を始めました。そしてドンピシャでした。以下感想です。



・「俺たちに明日はない」

出所したばかりのならず者・クライドと、日常に退屈していた女性・ボニーが出会い、町から町へ銀行を襲いながら奔走する物語。


冒頭、自分の家の車を盗もうとしてる男に魅力を感じてしまってるというその時点でもう「フホホ」って感じですよね。
危ない男は魅力的だという価値観それ自体の是非はともかく、ボニーはそうだったというだけ。そしてクライドは女が苦手というのはあまりにもズルすぎる設定だと思う。

銀行を襲って、撃ちまくって撃たれまくって、全員ゲラゲラ笑いながら、特にボニーがキャーキャーはしゃぎながら逃げていく、これが繰り返される。やたら陽気な音楽が流れる。反社会的行為のスリルの美化がすごい。楽しすぎ。

でも楽しいのも瞬間的なことで、基本的に追われてる身だから日々に安寧がないし、2人で穏やかに幸せに過ごす未来を夢見れるわけでもない。ベッドでもうまくいかない。そういう焦燥感が定期的に顔を出すのがまた良い。

クライドの兄貴夫妻が合流したくらいから、強盗もうまくいかないし怪我もするし落ち着いて眠れもしないし、だんだん勢いや楽しさがなくなっていくんですよね。兄貴の奥さんがかわいくないうるさい足手まといで絶望的に愛せないキャラだし。ずっとボニー&クライドが駆け抜けていく物語だったらきっともっと美しかったんだろうけど、そうもいかない。こいつらは結局は弱者だから、ぎゅうぎゅうに群れて喚き散らしながら逃げ回る。


「最後には全員撃たれて死ぬ」ってわかっていながら見る、というのはこの映画の正しい見方じゃなかったかもしれないが、最後のシーンについて私が思うことは、これはボニーとクライドによる一種のロマンスとして、
生きるにしても死ぬにしても、どっちでもいいけど一緒がいいよなと私はいつも思います。死んでしまうことそのものではなくて、死ぬときクライドが駆け寄るのが間に合わず2人離れ離れで死んでしまうのが切ない。

超どうでもいい余談なんですが私これ同じ感想を「マグニフィセント・セブン」でも持っていて、ビリーとグッドナイトが死ぬときに同じ時計台の上ではなくて、グッドナイトが地面に落ちてしまうことこそが悲しかった。
どうせ死ぬなら大事な人同士で寄り添って死にたいよね。



・「イージー・ライダー」

大麻を吸い、派手なバイクに乗る、反体制的な男2人が、謝肉祭を目指しアメリカ横断の奔放な旅に出る物語。

とか説明するのも恥ずかしいくらい有名な映画だと思うんですけど、私これ大好きの大好きの大好きの大好きになってしまった。


まず合間合間に最高の音楽ぶちかけられると頭振っちゃって映像見れないからやめてくれ。最高。Apple Musicで曲かき集めます。

私は人2人が煙草を(こいつらの場合大麻だけど)一緒に吸ってる仕草、火をつけてやったり自分が吸ってるのを相手の口に突っ込んだり逆に奪って吸ったり、そういう光景が大好きなのですが、それがたくさん見られて良かった。
あとキャプテン・アメリカ(ワイアットという名前があるらしい、本編で呼ばれてたっけ…)の顔が良すぎ。大柄で寡黙ないい男。相方のビリーが小柄で挑発で動きも喋りもうるさいファニーなやつなのと良い対比になっていて、歴史的名コンビですね。
あとジャック・ニコルソン演じるハンセンもめっちゃ好き。酒飲んでクソでかい奇声を上げるところ大好き。
先日「シャイニング」も見たんですけど、ジャック・ニコルソンってこう、いつ突然怒鳴り出したり人を殴ったり刃物を出したりするかわからないみたいな、常にめちゃくちゃ危ない雰囲気を醸し出しているすごい俳優ですね。


前半はそうやって音楽がいいとかヒッピー萌えとか、奔放な雰囲気をただ楽しめるんだが、ハンセンと留置所で合流して、南部についてカフェに入るシーンがすごい。
あの時代においてどれくらいリアルだったのか現代の私にはわかりませんが、カフェに入っただけで容姿だけであんなに罵られることある???
男どもからは成敗してやるとかゲイだとか罵倒され、女どもからはどれがタイプ?だとか言って消費される。最終的に1人殴り殺されてしまう。彼らが弱者であるということが突然突きつけられるすごい場面。

そして謝肉祭の場面。様々な場面が交錯するカオス。感情が吹き出る。普段へらへらしてる弱者たちが、この世は地獄だと泣きながら叫ぶ。謝肉祭ってどういうところなんだろう。このへん文化の知識がないと理解しきれないかもれないと思った。

彼ら2人も死ぬときバラバラなんですよね。切ない。



・余談、「タクシードライバー」

荒廃した街への嫌悪を募らせた、不眠症のタクシードライバー・トラヴィスは、ある売春婦の少女と出会うことで決意を固め、無謀な作戦を実行に移す。


これはね、これは本当に完全に私のミスなんですが、これ見てめちゃめちゃ拍子抜けしてしまったというか期待の方向を間違えたんですよね。これは余談です。

私この映画は「ファイトクラブ」に近いと思って見始めたんですけどちゃんと考えたら完全に逆なんですよね。
トラヴィスは反社会的な勢力に対して嫌悪感・排除してやるという意思を持っていて、その方向ではある意味精神の均衡を失いかけてはいるけれど、最終的にマスコミに英雄と称えられるような行動を成功させ、そして日常に戻る。
雰囲気が退廃的だから勘違いしたんだと思うけど、たぶんこの映画は「バットマン」の暗さに似て、退廃映画ではなくダークヒーローものと捉えるのが良いんだろうな。
とはいえ鏡の自分に話しかけるシーンはめちゃめちゃよかった。

という意味では全く嫌いな映画ではなくかなり好きな方なんですが、「見る気分を間違えた」というか、タイミングを間違えたという感じでしたね。というだけの話でした。



・ついでだから「JOKER」の話もしよう

まだ映画館でやってるのかすごいな。もう一回見に行こうかな。


この映画はそもそも妄想の症状がある主人公の主観目線で描かれるので、どこまでが真実なのか、彼は最初から病棟にいただけではないのか、等の議論が存在するみたいですが、私は割とどっちでもいいと思っているので、とりあえず彼は行動を実際に起こしたのだという仮定で話を進めます。

この世は地獄だ、と思ったとき、起こすべき行動の最上位というのが私の解釈です。自分を苦しめるもの全てを破壊し、社会に恐怖を与え、まさに「悪の象徴」になること。

私は「時々自分がジョーカーになりそうで苦しい」時と「ジョーカーになれない、なりきれないことが苦しい」時と両方あります。というか後者に最近気がつきました。すべてを捨てて、悪の化身になれたら、無敵で、葛藤や苦しみもなくなるのに。

でもそれを本当に実行してしまう人の存在にはとてつもない悲しみがあります。ジョーカーはカリスマだし、言ってしまえばフィクションなので「伝説的な良いキャラクター」で結論づけられるけど、現実に実在もするわけです。


私はやっぱり好き勝手退廃をやっているところを荒野で突然警官に撃ち殺されるのが一番いいな。でもその時は、誰か大切に思える人と一緒に死にたいね。


アメリカン・ニューシネマの作品はまだ気になるものがいくつかあるし、というか見なきゃいけない映画は無限にあるので、また感想が溜まったらnoteを書こうと思います。


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