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驚きの演出、誰にも真似できない世界――若鶏にこみ『かみねぐしまい』

 若鶏にこみ『かみねぐしまい』1巻が発売されました。神様の子供という異邦人を起点に、双子の姉妹とその家族の心のやりとりを繊細かつ丹念に描いた本作は、まず何より物語としてずっしりとした手応えのある傑作です。また、この作者にしか描けない独特の雰囲気・世界観もまた大きな魅力のひとつでしょう。
 本稿では世界観描写の基盤となっている特異な演出テクニックの数々について紹介します。いや本当に、凄いんですから。

(1巻P8)
(1巻P9)

 序盤ですが、最も驚嘆したシーンです。ごく自然な日常描写の中で「(部活を)知らんかった」と言わせておいて、直後のハプニング時に「行け水泳部!」と叫ばせる。たったこれだけのことで、①知らなかったのは嘘であったこと②知っているのに知らないと言うくらいには嫌いであること③部活を知っている程度には興味があること④本当はそこまで嫌いではないこと⑤嘘で取り繕う余裕がないほど差し迫った状況であること、を読者に示しています。また、「コイツ」と呼んでいたはずが「お姉ちゃ(ん)」と言ってしまうことも、①危機的状況で慌てていること②本当はそこまで嫌いではないこと、を表すサインとして機能しています。
 これほどの情報量をまともに描写するとどうなるか、想像に難くありませんよね。こういった「情報の圧縮」の大胆さは、本作のテンポ感の良さに寄与しています。

(1巻P25)

 この2コマはどちらも「部活を休むと伝える様子」を表しており、その意味では1コマにまとめられそうですが、あえて2コマ目を配置し、描画全体にスピード感を乗せることでギャグとして成立させています。このような「無駄なシーン」はもちろん無駄ではなく、独特の世界観構築に重要な役割を果たしています。
 それにしても「プールぱちゃぱちゃ部」という言語センスには、いつもながら惚れ惚れさせられますね。

(1巻P18)

 注目したいのがコップの持ち方。いかにも嫌なものを持つような手で、非常に実感がわきます。些細な描写ではありますが、こういうところにまで意識を行き渡らせているからこその雰囲気が確かにあります。

(1巻P34)

 キャラがだんだん追い詰められていく心情をコマの狭さで表しています。その手があったか、というようなアイデアに驚きました。ユーモラスに処理しているところもベストですね。

 このように素敵な演出はたくさんありますが、とはいえ演出とは目的ではなく手段。あくまで物語とキャラと世界観を際立たせるためのものです。その点にしっかりと意識的なのも、本作の(あるいは作者の)良さだと思っています。
 ずっしり引き込まれるストーリー、曖昧な煌めきのあるキャラ達の関係性、誰にも真似できない言語感覚、そして考え抜かれた演出。全てが結晶となり出来上がった静謐でキュートな一作です。静かな夜に似合うような気がします、個人的に。


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