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頑張る原動力がなにか考えてみた

最近よく、行動する上でなにが原動力になっているのか考えることがあります。

「やりたい」ことにチャレンジする理由は複雑で、「こうだからです!」とわかりやすく伝えることの難しさを感じています。

もちろん「もっとこうだったらいいのに」という願いとか、「私はこれが得意かもしれない」という自信とか、「これをやっていたら楽しい」というワクワクとか......そういうものが根底にはある

それはもちろんそうなのですが、「頑張ってますよ」って伝えたいのかもな、という思いに気付きはじめているので書いてみたいと思います。


離れてもまだ、連絡をとれる関係であること

私は現在、フリーランスで働いています。もともと正社員で働いていた会社から、「戻っておいでー」とお声がけいただいたけれど、正社員では働けないので、フリーランスになりました。

退職してから1年半ほど経っていて、とても驚きました。結婚や出産の報告を社長に逐一報告していたので、声をかけてもらえたのだと理解しています。

この連絡をもらったとき、一度離れても連絡をとれる関係でいられることがとても嬉しいし、特別なことだと感じていました。

でも、最近は特別なことではない気もしてきています。

面接官であり直属の上司だった人がくれたお守り

特別ではないと感じた理由を考えていたら、ふと就職活動で出会った人の顔が頭に浮かびました。

私の就職活動は、ほんとうに地獄のようで(笑)。話すことへの苦手意識がいまよりも遥かにありまくっていた私は、毎日吐き気とともに生きていました。

とにかく早く就活を終わらせたかったのだけど、当時は今よりも壮絶な学歴コンプレックスとの戦いを繰り広げていて、とにかく大手に入りたかったんです。それでさらに苦しい戦いとなりました。

死ぬ思いでなんとかやっていた就活で面接官を担当していた人が、入社したら直属の上司でした。

その人が、研修中の1on1で泣いた私に「面接のときはもっと気が強いやつだと思ったんだけどね」と伝えてくれたことがあって。

勝手かもしれないけれど、あのときの私はその言葉を「もっとできるはずだよ」と言ってくれたんだと解釈したんです。だから、弱気になってしまったときに今でも私を支えてくれるお守りみたいになっています。

で、その人とは今もSNSでゆるーくつながっていて、当時と変わらぬ目線で私のことを見守ってくれていたりする。

気の強いわたしを引き出した人生のコーチ

「気の強いわたし」に私が出会ったときのことを考えると、大学時代のゼミの教授が頭に浮かびます。

この人は私の人生をかなり大きく変えた人で、とにかく会うたびに「もっとできるよ」っていろんな言葉で伝え続けてくれた人です。

学ぶ喜びとか、努力が報われる達成感とか、できなくて悔しい気持ちとか、ひとりでできないこともみんなでやればできるという実感とか。

「やりたい」と思ったことに全力でぶつかってみたときに感じる気持ちに出会えたのは、全部この人との出会いがあったからだと思っています。

だから、死ぬほどいやだった就活もなんとか乗り越えることができました。

で、この人ともいまだに交流があり、仕事を変えたり、出産したりするたびに連絡を入れているんです。

頑張りたいと思うときに頭に浮かぶ人がいる

そんなことを思い返していたら、思ったこと。

「頑張りたいと思うときに、過去の頑張った自分とか、そこでもらった言葉とか、出会った感情を思い出して、原動力にしているのかもな」

「見てくれている人がいること自体が、私を動かす原動力になっているんだろうな」

過去の経験が、一歩踏み出すことの足かせになることももちろんあって。そこはまた別の機会に、自分と向き合わなくてはいけないと思っています。

でも、こうやって前を向かせてくれる人との出会いや経験があって、私はまた頑張ろうと思えているのかもしれません。

もう一緒に過ごしているわけじゃないし、お互いに別の場所で生きているけれど、それでも私はあの頃と同じように、ここで理想に向かってもがいています。

見ていてくれているから頑張ろうと思えるし、これからも見ていてほしいから頑張っているのかも知れないな。

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実はここにあげた3人以外にも、私には「頑張ってますよ」と伝えたい人が何人かいて、そんな関係を無意識のうちに大切にしていたんだろうなと思います。


※こちらのnoteはセフルコーチング的に書いたものです。どのように書いたかの詳細は下記のnoteをご覧ください。

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