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【映画レビュー】『オール・アバウト・マイ・マザー』:人間の「生」のぎりぎりに迫る濃密で華麗な愛憎劇

 2000年の公開当時にも見たのだが、内容を忘れてしまっていた。見直してみて、ああ、こういう世界だったなと思い出した。
 画面から、情念みたいなものがムンムンと過剰なほどにあふれ出してくる。ああ、スペインだな、ペドロ・アルモドバル監督だな、と思わせてくれる濃厚さだ。
 そのムンムンとあふれ出してくる濃厚なものについて、迫ってみたい。

人間のぎりぎりのところ

 この作品はとにかく、人間の「生」のぎりぎりのところを攻め込んでくる。ある意味、変態である。ぐいぐい引き込まれていくうちに、いつの間にかそれが当たり前になってくる。その結果、常識とかモラルとかは相対化され、機能停止寸前になる。固まっていた常識が吹っ飛びそうになる。
 では、具体的に、どんな人間が出てきて、どんな出来事が起こるのか。これから、思い浮かべながら書き出していく。
 ストーリーそのままではないが、映画の途中まで隠されていることも出てきてしまうので、これから作品を見ようと思っている方は、映画を観た後に読んで下さればとと思う。

「生」をぐらぐらと揺さぶる

 主人公マヌエラは看護婦として、脳死判定に関わっている。今では、騒がれなくなったが、公開当時は脳死が人の死かということがセンセーショナルに議論されていたころだ。
 脳死による臓器移植は、生物としてはまだ生きているのに、死んだものととして、臓器を取り出してほかの人に与えるという行為である。それは、生と死の境目というものの常識を吹っ飛ばす。何が生で何が死なのか、混乱をもたらす。
 映画は、脳死に関わる仕事をしていた主人公マヌエラの最愛の息子が事故にあい、脳死判定されて臓器移植が行われるところから始まる。マヌエラは、とてつもない悲しみに襲われ、取り乱す。
 「生」をぐらぐらと揺さぶる、この作品の入り口にふさわしい幕開けである。

女性であり男性である(?)父

 マヌエラは、父親ロラに息子の死を知らせようと考える。実は、元夫のロラは、女性になっているのだ。ただし、女性と言っても、手術で乳房は作ったが、ペニスはそのまま残しており、女性であり男性であるという、強烈な人間像だ。彼女(彼)ロラの存在が、この映画の鍵となっている。
 マヌエラは、ロラを探すために、女性たちが売春をするために集まる野原に行く。そして、そこにボランティアような形で関わっている若いシスターのロサと知り合う。
 ロサは、人道支援のためにエルサルバドルに行こうとするような正義感を持ち、聖職者にふさわしい清らかな心を持つ女性に思える。
 そのロサが妊娠していることが発覚する。その父親は、なんと女性であり男性であるロラだったのだ。
 ロラはマヌエラの元夫であり、一人息子を捨てて、女性になってしまった人間だ。その女性が、シスターのロサを身ごもらせた。なぜそのような女性(男性)の子供を身ごもったのか。マヌエラは、ロサを責める。
 しかし、ロラはエイズに感染していた。ロサもエイズを発症し、子供を産み落とした直後に死んでしまう。
 マヌエラは、ロサが産み落とした赤ちゃん、すなわち、自分の息子の兄弟となる子供を育てていくことを決心する。
 うーん、ここまで書いてきて、すさまじい展開だと改めて思う。ペニスをもつ女性、売春婦の子を身ごもる聖職者、エイズ、死と誕生……。人間の裏表というか、裏の裏というか、常識的な生き方を揺さぶる情動が襲い掛かってくる。異常な熱気がムンムンと立ち込めている。

すべてが濃い、そして美しい

 そのように激しく生が揺さぶられる中で、柱のように微動だにせず貫かれているのが、親子のつながりである。主人公マヌエラが、母として息子を思う気持ちだけは、絶対に揺らぐことがない。
 女性と男性が乱れるように入り混じる世界とは対照的に、母と子のお互いを求めあう情念のようなものは、まっすぐに確固として存在する。だが、ある意味、その情念も強すぎて、乱れた世界と同じようにムンムンと湯気が出ている感じなのである。
 もう、本当にすべてが濃い。あまりにも濃すぎて、この世のものとは思えない。逆説的だが、それゆえに、この世のものとは思えないほど美しく華麗である。神々しく思えてくる。

さながら演劇のように

 そうした濃すぎる世界を際立たせるとともに、受け入れられるようにしているのが、演劇である。
 映画の中で、演劇が演じられ、劇中劇のようなスタイルになっている部分がある。マヌエラも、役者として参加したりする。
 それによって、登場人物たちの驚異的な人生が、舞台の上で繰り広げられている劇であるような感じがしてくる。実際の人生ではなく、舞台の上でスポットライトを浴びて役者が演じているかのような感覚になる。
 だからこそ、過剰なほど濃すぎる世界を眼前にしても、目をそむけたくなど全くならず、エンターテイメントとして楽しむことができるのかもしれない。 


 この作品は、ある方にお勧めされて、もう一度見てみようと思いました。私は見た作品の中身をすぐに忘れてしまいます(印象だけがずっと残ります)ので、また新鮮な気持ちで見ることができました。
 しかし、何か書こうとすると手ごわくて、情けないことに、うまく文章にできませんでした。そういう映画こそ、自分の目で見る価値のある作品なのかもしれません。 

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