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【映画レビュー】『ブルーバレンタイン』:「計算されつくした」映画が見せる「計算不能」な愛の苦しみ

「あんなに愛し合ったのに…」
 どこかで聞いたようなセリフだが、この言葉が訴えかけることは、人間が永遠に解決できない問題であるような気がする。
 この映画は、ある夫婦の今の日常を映し出すところから始まる。
 そして、その男女が「最初に出会ってから今にいたるドラマ」と、「今から破局に向かっていくドラマ」が並行して映し出される。
 見ている者は、男女が熱狂的な恋に落ちていく様子と、その二人が通じ合わなくなっていく様子を同時に見せられるのである。
 ものすごく計算しつくされた、ある意味頭でかっかちな構成だ(その試みは見事に成功している)。
 その一方で、愛情とは、計算できない理不尽なものであることを思い知らされる……


激しく恋に落ちる二人

 主人公のディーンとシンディは、激しい恋に落ちた。
 大学に通っているシンディと、社会の底辺で生きてきたディーンだったが、二人でいれば何をしても楽しかった。シンディの両親に疎まれても、そんなの跳ね飛ばした。
 そんなとき、シンディが妊娠していることがわかる。前の恋人だった大学の同級生との間にできた子供だった。
 ディーンは、その元恋人たちのグループに逆恨みされ、ぼこぼこに殴られたりする。それでも、シンディを愛した。
 ディーンはその子供を、自分の子供として育てることを決意して、シンディと結婚する。
 このあたりのエピソードは、本当に美しい。恋っていいなと思う。愛の力を感じさせる。

愛の歯車が狂ったらもうどうしようもない

 しかし、それと並行して描かれる「今」以降の話は全く違う。
 シンディとディーンはすれ違って分かり合えなくなっていくのだ。
 シンディは看護師の仕事を頑張って、上に行こうとしている。一方のディーンは、家族との時間を一番大切にしたく、仕事はそれに支障のない程度にしかしない。そうするうちに溝は深まっていく。
 そして、決裂の時を迎える。シンディはもうディーンのことを愛せなくなってしまう。
 一度、歯車が狂ったら、もう戻らない。ディーンがどんなに理性的に話をしようとしても、自分を変えることを誓っても、シンディは受け入れようとしない。
 そうなったら、何をしてももう無駄だった。とりつくしまはない。すべてが悪い方に向かってしまう。崩壊するしかなかった…

かつてはあんなに愛し合ったのに…

 ディーンはダメな面もあるが、決してひどい人ではない。子供のことも、シンディのことも大切にしている。
 ディーンより悪い奴はたくさんいる。シンディは、そういう人と接することはできるのに、ディーンとはもう接することができなくなってしまう。
 こともあろうにシンディは、自分を妊娠させて去っていった元恋人と再会して、少し心をときめかせてしまう。ディーンはその恋人の子供を、自分の子供として大切に育てているのだ。
 どうしてだ! おかしいではないか! 理性的に考えれば、あり得ないことだ。
 でも愛情とはそういうものなのだろう。理屈では割り切れないものなのだろう。いい人が愛されるとは限らないのだ。
 理屈が通用しない世界なのだ。なんとも切ない。
 この映画は、愛が作られていく過程と崩壊していく過程を同時並行で見せる。ものすごく理知的な構成だ。映画が理知的であるだけに、かえって、「愛」というものの理不尽さが余計に浮かび上がってくるような気がする。


 この映画のことは、町山智浩さんの『トラウマ恋愛映画入門』という本で知りました。
 この本には、ほかにもこうした愛の謎・理不尽さが描かれた映画をたくさん紹介しています。


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