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【映画レビュー】『あの夏、いちばん静かな海。』:静かな海からいつまでも届き続ける波の音と二人の姿

 主人公の青年・茂は耳が聞こえず、話すこともできない。ごみ収集の仕事をしているが、ふとしたことからサーフィンに興味を持ち、のめり込んでいく。
 茂の彼女も、耳が聞こえず話すこともできない(真の主役は彼女だと思う)。
 二人がどんな関係なのか、どういう経緯で一緒にいるのか、どんなふうに生活しているのか、などといったことは描かれない。
 舞台となる街も、海沿いという以外には特徴のない没個性の町だ。おそらくあえて何も語るべきことがない設定になっている。
 説明シーンはほとんどなく、余分な要素がぎりぎりまでそぎ落とされている。だからなのか、観終わった後にいろんなことが頭をよぎる。その余韻がまだ続いている…


黙って一緒にいるだけの二人

 主人公の二人は、言葉を交わすこともなく、ただいつも一緒にいる。
 茂がサーフィンに出かけるときは、二人で一緒にサーフボードを抱えて歩く。何も話したりはしない。茂がサーフィンをするときは、彼女はその姿を砂浜でずっと見ている。波を待つときは二人でただ座って海を見ながら待っている。もちろん言葉を交わすことはない。
 この映画は、そういう姿が、何度も何度も淡々と映し出され続ける作品だ。
 二人が思い合っていて、支え合っていて、お互いいつもそばにいるのが当たり前だと思っているということだけはわかる。いや、それしかわからない。
 おそらく二人は、耳や口が不自由なために、いろんな壁に阻まれたり、いろんなことをあきらめたりしてきたに違いない。そのことは何となく想像はできる。ただ、そういったことも一切描かれない。
 でも、なぜかこの二人が生きる姿をずっと見ていたくなる。二人のいる世界にずっと一緒にいたいと思えてくる。

頼り合い、支え合う

 二人の感情が少しだけだが表に出るシーンが二つある。
 ひとつは、砂浜で茂が他の女性に声をかけられたことに、彼女が嫉妬して家に閉じこもってしまうシーン。
 もうひとつは、二人で一緒にバスに乗ろうと思ったのに、サーフボードをもった茂は乗車を拒否され、彼女だけバスに乗るのだが、途中で降りて彼のもとに走って戻るシーン。
 どちらも、何とも言えないほどいじらしく可愛いシーンである。
 頼りあっている二人、支え合っている二人。恋人という、ありきたりな関係ではなく、もっと絶対的な絆でつながっているように思える。
 しかし、絶対的と思うものほど、あっさり崩れ去ってしまうことを思い知らされる。

回想シーンで涙腺崩壊

 二人の世界は、茂が突然海から戻ってこなくなることであっけなく終わる。多分死んでしまったのだろうが、ここでも詳しいことは何も語られない。
 そのあとに、多くの短い回想シーンが連続して畳みかけるように次々と画面に映し出される。これまでの「静」の壁が一気に崩壊したように…。そこで私の涙腺は爆発してしまった。
 その回想シーンのなかに、はじめて、二人が笑ったりはしゃいだりするシーンが混ぜられている。ああ、二人にはこんな風に楽しい時間があったのだなと知らされる。
 うまく言えないが、人が生きていくことの美しさと悲しみを同時に突き付けられたようで、身動きできなくなるような感覚になった。

生き急ぐ姿を体現するかのような音楽

 久石譲の音楽も、二人の姿に本当にぴったり重なっていた。
 映画が始まるとすぐに流れるのだが、それだけでもう身震いがしてきた。二人の若者が、生き急ぐかのように、前に向かって走っている感じが、音楽から伝わってくる。
 この映画における音楽の力はとても大きいように思う。

いつまでも続く余韻

 茂には、サーフィンを応援してくれる、サーフショップの店長がいた。茂は、彼の紹介でサーフィン大会にも出場した。
 1回目の大会はアナウンスが聞こえず、会場に行ったのに参加できなかった。この悲しいエピソードも、本当に淡々と描かれていて、それゆえか、心に残り続けて後を引く。
 2回目の大会では見事にトロフィーを手にする。そのときの記念写真が、DVDのパッケージなどに使われているシーンだ。なんて慎ましく、微笑ましく、一所懸命なのだろう。この1枚の写真をみているだけで泣けてくる。
 この映画の余韻は、ずっと残り続けるだろう。いつまで続くのかはわからない。もしかするとずっとかもしれない。
 無駄なものを極限までそぎ落として淡々生きる姿を映し出した作品が、こんなにも強い気持ちを湧きあがらせ、虜にさせてくれたことに改めてすごいと思った。


 主人公二人を演じた二人が本当によかったです。大島弘子さんは、この作品以降、出演することがなかったようです。どうしてなのかはわからないのですが……

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