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ため息俳句 梅は咲いたか

武蔵丘陵森林公園へ。
新年を迎えて、初めてである。
久しぶりに園内の空気を吸うと、なんだか胸の中が洗われたようで、すっきりとした気分になれた。
 先ずの今日の気がかりは「梅は咲いたか」。そこで梅園に近い南口から入園した。
 ゲートから梅園までは歩いて10分ほどもかからない距離であるが、これまでの経験では、途中でおなじみの野鳥に出会えることがしばしばあった。そういうことだから、鳥の鳴き声が聞こえてくる辺りの梢を見上げたり、道の両脇の藪の奥を覗いたりして、立ち止まり立ち止まりするために、通常の3倍ほど時間がかかった。
 今日は、まるでもう春はそこまでという感じで、鳥のさえずりがそこここから盛んに聞こえて来るのであったが、姿を見つけることは出来なかった。しばらくぶりの森歩きで、鳥探しの眼が戻っていないのだ。

 ようやく梅園についた。ここは里山の小高い丘の南斜面に様々な種類の梅が植えられているのだ。
 まだ、咲き始めて間もないようで、見物の人影もまばらであった。
 だが、日当たりのよい斜面を見上げると、花をつけた木がそこここにある。いずれもが、まだ咲き始めであるが。
 そうして、香りも。

 先ずは、紅梅が匂いたつ。

 白梅は、まだこれからという感じで、咲いている木が少ない。 
 風は冷たいが、梅の木々の間を、その風が吹き抜けて来る。なんだろう、その風は、なんだか縮こまっていた胸郭を開いてくれるように感じた。とても爽やかな気分になれた。やはり、風の香りだな。 今咲いているのは紅梅も白梅も、八重咲のものが多いのだが、一重の野梅やばいもちらほら咲いていた。

その野梅の仲間なのだろうかこんな花があった。

 画像の奥に札があるのがみえるだろうか。その札にはこうあった。

 「古今集」なんて、どのような命名の由来があるのだろう。なんだろう、やはり香りが他に較べて強いということだろうか。
 
 実は「万葉集」の方が収録された歌の数では、「古今集」よりもずっと多い。梅は奈良時代に中国から伝来したというので、まだ物珍しさもあったのだろうか。そこにゆくと平安時代になると梅も日本の風土に土着して、人々の生活のなかにすっかり溶け込んだ。珍しいものでなくなったのだ。「枕草子」では、「あてなるもの」として、「梅の花に雪の降りたる」とある。この梅は、紅梅ではないかと言われる。おそらく、万葉の梅は多くが白梅であったようだから、平安になると色変わりまで含めてありふれた花になったのだろう。
 そうなると、梅の特性である香りを愛でるのも共通の感覚になって、「古今集」とそれ以降では、その香りが歌の題材にしばしば取りあげられた。まあ、月並になっていったのだ。
 
 「古今集」の中の一首。
 
梅が香を袖に移してとどめてば春はすぐともかたみならまし 
                           読人知らず

歌意(あたり一面に漂っている梅の香りを、袖に移していつまでも残せるものならば、たとえ春が過ぎ去ってしまおうとも、その記念になってくれようものを。) 「完訳日本の古典・古今和歌集」より

 こんな調子だった。
 つまり、この梅に「古今集」と名をつけた人は、この梅の馥郁と匂うことから、そうした平安人の心情を汲んだのかもしれないが、・・・・、でも、やっぱり、妙な名ではないか。

 またまた、話が脱線気味になった。
 この愚録の今日の話しは、森林公園の梅林を歩いて、とっても気分がよかった、そのことだけ言っておきたいのである。

 それに、福寿草もひと株見つけた。


白頭はくとうや紅梅白梅のかん

                   「白頭」とは、白髪のことです。