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ため息俳句番外#19 日並俳句


日並俳句というのは、月並俳句の間違いだろうと思われるかも知れない。
正岡子規の、「天保以後の句は概ね卑俗陳腐にしてみるに堪へず。称して月並調といふ」(「俳諧大要」1899・明28)とのたまわれたというのは、俳句を趣味になさっている方には常識であろう。
その始まりは「獺祭書屋俳話」(1892・9/17)で、幕末の旧派俳諧を「月並流」と云って負の評価を下したことに始まる。以来「月並」という言葉は、
新味がなく平凡、退屈、凡庸という意味合いを含むことになって、俳句界以外でも様々な場面で使われるようになった。
しかし、「月並」という名詞はもともとは、ネガティブなニュアンスなどない言葉で、「月次」とも表記して、毎月、例月、また月ごとにあることの意味である、例えば「月次祭」といえば、古代から国家の安泰と天皇の長寿を祈るもので、伊勢神宮をはじめ,304座の大社の祭神に幣帛を奉るのである。
そこで、Wikipediaで整理して頂こう。

俳句の世界においては、文化年間に爆発的人気を起こし明治中期まで続いた「月並句合」(つきなみくあわせ)と呼ばれる興行があった。これは俳諧宗匠が毎月、兼題(前もって出しておく題)によって発句を集めて句会を開き、高得点句をまとめて出版する、というもので、手引書となる類題句集なども多く出版され盛んに開催されていた[1]。明治中期、正岡子規はこのような月並句合で作られる、機知や風流振りを特徴とするありきたりな俳句を「月並調」と呼んで批判し、写生の方法を機軸とした俳句の近代化事業を推し進める中でこれを排斥した[3][4]。今日「月並」の語が「陳腐、ありきたり、平凡」といった否定的な意味の日常語として用いられるのはこの子規の用法に由来する[3][5]

Wikipedia「月並」の項

ということで、・・・。

で、小生ふと思うのであった。自分は生身の人々に混じって愚かしい拙句をご披露したり、人様の句に優劣をつけるような所行は到底無理であるから、こそっとnoteの片隅で、ため息の如き句を詠んでそれで十分満足、老いの日々のつれづれを慰めているという次第だ。であるからして、俳句の腕を上げるなんてはなからあきらめている。そういう自分であるから、「月並俳句」と子規はののしるのだが、自分は到底そのレベルのにも到達できない。

そこで、この日々老衰してゆく脳みそに珍しくひらめきがあった。
「月並俳句」にさえ及ばないのなら「日並(日次)俳句」はどうであるか?と。
「日並」とは、毎日行うこと、日ごとと、云うことだ。つまり、なんやかんあっても、日々575に言葉を載せてみる、そういうことでいいのではないか。大体、575なんかで言い得ないことの方が圧倒的に広く厚く深いのだし、云えることはたかが知れている。
子規は、月並とはああだこうだと非難がましくおしゃるが、そういうことは無視。気持ちのおもむくままに、・・・、そうしようと思うのだ。
「俳諧自由」というスローガンもどこかで見かけたが、それもねー「志」が眩しすぎて・・・。