ため息俳句53 ババ抜き
孫たちが遊びにくると、ババ抜きで盛り上がる。
昨日も、孫お兄ちゃん、孫弟ちゃん、ばあちゃん、じいちゃんの戦いとなる。
孫兄はこの四月に小学1年生になる、弟は年中さんに進級する。ゆえに孫弟はルール破りの常習である。それをなだめなだめ、ゲームは進行する。
この単純極まりないトランプゲームに、老若男女が夢中にさせられるというのは、多くの人に共通する認識であろう。
孫の兄弟が熱狂するのもごく自然で、ジジもババもその様子に満悦になる。孫兄は負けても悔しそうであるが、次の勝負があると気持ちを持ち直せる。だが、孫弟はそうは行かない。叫び嘆き涙にくれる、時間にすればほんの5,6分のことであるからまあよいのだが。
ともあれ、なぜに人間というものは、賭博的要素が全くない場合でも、ゲームというものこれほど心奪われるのか。年端のゆかない子供が、あれほどに勝ち負けに拘泥するのか、その辺の心理にどんな説明がなされているのか、無学な自分は何も知らない、・・・・そうだ、なにからなにまで何も知らないまま余生が尽きるのも、そう遠くはないはずなのに。そう、無常という「大いなる手」もジジ抜き、ババ抜きに興じているのだ。