ため息俳句番外#40 馬の耳に・・・
「馬の耳に念仏」という諺の意味を知らない人はいないだろう。
さて、今日は半年ぶりに上野のトーハクに、足を運んだ。
特別展「法然と極楽浄土」を楽しみに出かけた。
當麻寺の「綴織當麻曼荼羅」が奈良県外で初公開というではないか。そのほか、関東のあちらこちらか浄土宗寺院のお宝が集まってくるらしいとのことだ。
確かに、「綴織當麻曼荼羅」も、知恩院の「法然上人絵伝」はじめてしてあちらこちらの寺に伝わる「絵伝」などなど、二時間余りかけて、比較的ゆっくりと拝見。自分の乏しい知識を総動員して見て回った。飽きること無く時間は過ぎていきましたので、その点はよかったかと。
がしかし、・・・・なんだか物足りないなと思いながら、会場を後にしたのだった。
つまり、なにが足りないかというと、肝心の法然というお坊さんについて、この展覧会はいったい何を伝えたかったのだろうか、だいたいに俺は二時間近くも歩いて、疲れて、何かしら新しい知識でも認識でも得たのだろうかと。たしかに法然の弟子といったら、親鸞しか興味が無かったがほかにも沢山居ただろうし、江戸時代の浄土宗といったら、増上寺のこととか思い浮かぶのだが、・・・、そうした新知識は、自分には余り興味が無いことだな。
知りたい考えたいとのは、法然その人であるし、南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土へゆけるというのは?とか、そういうことだ。生半可な自分の知識を鍛えてくれる展示は・・・・、分かるように見せておくれよ、そんな風に感じたのだと思う。それを楽しみにでかけたのだから。
いやいや、当方に「無知」「理解力なし」という致命的な欠陥があって、それこそ「馬の耳に念仏」、「わからんじんは、お前だよ」ということだったのしょう、・・とも。
あるいは、あなたの問題意識めいた思いは、あなた自身が何らかの答えを見いだすもので、こちらはその手がかりをお見せするというのが、仕事ですよと、いうことであるとか。
でもである、どんな展覧会でもいえるが、通りがかりにふらっと入場してしまったという感じの人は必ずいる。動機も予備知識も何も無い人として、自分は思うのだが、それでも会場を去るときには、なにかしらのお土産を持たせて貰らいたいのだ。そんな、手取り足取りなんて出来ませんよと、云われてしまうなら、・・・。
この展覧会は浄土宗開宗850年を迎えるに当たっての、慶讃事業の一つとして浄土宗公式サイトにあったということを、付け加えておく。
以上、あくまで未熟な個人的な感想であり、希望である。