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#17 手枕に花火のどうんどうん哉 一茶

 墨田川の川開きの夜であろうか。

手枕に花火のどうんどうん哉 一茶


 「手枕」というのは、男女の共寝の際のことというのもあるが、一茶のこの句にからそういう感じがあるだろうか。
 「どうんどうん」とは、花火のあがる音である。

 (貧乏長屋に宵が来て)
 一人寝転び、ひじまくら。
 打ち上げ花火のどうんどうんという音を聞いている。
 (これも呑気きままで悪くない。)
 
 そんな風か。

 昨晩は、当地の花火大会であった。荒川の河原で打ち上げられる。コロナ騒動をはさんでのここ数年は孫達と見物したが、今回は夫婦ふたりで出かけた。
 花火のよいところは、近ければ近いほど迫力があって見応えがあるのは当然だが、遠くから見ても、それはそれで風情があるものだ。夜空に花火が燃えて、一呼吸後に遅れて、どーんと音が聞こえてくる。その間合いもいいものだ。
 そういうわけで、堤の上の道を歩いて花火会場へと行くのだが、足腰のおぼつかない爺婆であるから、さっさと移動を切り上げて、花火を見通せそうな河川敷の野球グランドの脇の草地に、ピクニックシートを敷いてみると、寝転んでも見物できるスペースを確保できた。

 この年になると、もうちょっこと花火見物の気分に浸ることが出来れば、よいのだから、こうこれで十分OKなのだ。

 そういうわけで、疲れるとビニールシートの上にごろりと横になって、花火を眺めたのである。
 では、「古女房の手枕も」なんて、気味悪い突っ込みはあり得ない。
 薄いシート一枚では、寝心地はよくなかったが、ちょっと極楽気分で肘枕出来たのであった。

 さて、一茶にはこんな句もある。 

膝の子や線香花火に手をたゝく