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#21  やすやすと出でていさよふ月の雲  芭蕉

 昨晩は、名月に憎まれ口をたたいたが、今夜の月は素晴らしい。

旧暦八月十六日

 そこでこの風雅な一文を。

堅田十六夜の弁  芭蕉

 望月の残興なほやまず、二三子いさめて、舟を堅田の浦に馳す。その日、申の時ばかりに、何某茂兵衛成秀といふ人の家のうしろに至る。「酔翁・狂客、月に浮れて来たれり」と、声々に呼ばふ。あるじ思ひかけず、驚き喜びて、簾をまき塵をはらふ。「園中に芋あり、大角豆あり。鯉・鮒の切り目たださぬこそいと興なけれ」と、岸上に筵をのべて宴を催す。月は待つほどもなくさし出で、湖上はなやかに照らす。かねて聞く、中の秋の望の日、月浮御堂にさし向ふを鏡山といふとかや。今宵しも、なほそのあたり遠からじと、かの堂上の欄干によつて、三上・水茎の岡、南北に別れ、その間にして峰ひきはへ、小山いただきを交ゆ。とかく言ふほどに、月三竿にして黒雲のうちに隠る。いづれか鏡山といふことをわかず。あるじの曰く、「をりをり雲のかかるこそ」と、客をもてなす心いと切なり。やがて月雲外に離れ出でて、金風・銀波、千体仏の光に映ず。かの「かたぶく月の惜しきのみかは」と、京極黄門の嘆息のことばをとり、十六夜の空を世の中にかけて、無常の観のたよりとなすも、この堂に遊びてこそ。「ふたたび恵心の僧都の衣もうるほすなれ」と言へば、あるじまた言ふ、「興に乗じて来たれる客を、など興さめて帰さむや」と、もとの岸上に杯をあげて、月は横川に至らんとす。

錠明けて月さし入れよ浮御堂  ばせを

やすやすと出でていさよふ月の雲  同


同上

さて、あの「雲の間にいざよう月」とは、こんな風ではなかったかと、北埼玉の安普請のベランダで、今夜の月に見とれてしまったのだ。
忘れない内に、記録する。

同上


 追記・9月19日

 この頃、昼の農作業の疲れか、飯を食い風呂にとすぐに眠くなる。夜更かしが辛くなった。昨晩も、十六夜の月を眺めているとすでに眠気がさしきたが、しかし、よい月だとまあ、ちょいとばかり気分が高揚して、愚ログに雑な記事をあげて、寝た。
 今朝起きて、見直すとなんだいこれはと、反省した。
 そういうことで、補足をさせて頂く。

 「堅田十六夜之弁」は、「堅田集」という本では、ただ「いざよひ」と題されている。
  
 昨夜の名月の会の感興がなおおさまらず、二三にそそのかされて船を堅田の浦(琵琶湖)まで走らせた。その日の午後四時ごろ茂兵衛成秀という人の家の裏に船は着いた。
 「酒飲みと風流人が月に浮かれてやって来たよ」
 船の中から口々に主を呼んだ。
 主はおもいがけない珍客の到来に驚き喜んで、簾を巻き上げたり、塵を払ったりする。
 「畑に芋がある、ささげもある。すぐにもなにか作っておくれ。鯉と鮒の洗いもすぐに用意せよ。ああ、いくら急ぐといっても切れ目が不ぞろいではみっとないぞ」
 とかてんてこまいで宴の準備をする。ともあれ、岸辺に蓆を敷いて、宴を始めた。月は待つ間もなく昇ってきて、湖上を華やかに照らす。
 仲秋八月十五夜には、月が浮御堂の真正面の山から昇ってくるが、その山が鏡山だとかねてから聞いていた。今宵とてまだ一日の違いなのだから、そう遠い位置でなかろうと、その浮御堂の欄干によりかかって眺めると、近江富士と呼ばれる三上山と、水茎の丘とが、南北に別れて、その間の峰が延びて、小山の頂と重なっている。
 そうこう言っているうちに、月は高く昇って黒雲の中に隠れてしまった。どれが、鏡山かわからない。主は、「をりをりの雲のかかるこそ(おりおりに雲がかかるほうが、かえって月の趣が深い)」などと西行の歌を引いて客をもてなすのに必死である。やがて月は雲の外に離れ出て、金色に輝く風が吹き渡ると、湖面に銀の波が立ち、浮御堂の千体仏の尊い光に相映じる。
 あの「かたぶく月のをしきのみかは(西に傾く月が惜しいばかりではなく、秋の半ばをもう過ぎてゆく、そのことが惜しまれる)」と、藤原定家卿が嘆息して映じた歌を思って、この十六夜の空を世の中になぞらえ、無常の思いを確かめることができたのも、このお堂に遊んだからである。
 「ふたたび恵心の僧都の衣もうるほすなれ(この堂を開基された恵心僧都が、沙弥満誓の『世の中を何にたとへむ朝ぼらけ漕ぎ行く船の跡の白波』という歌に感じて衣の袖を潤したように、自分もまた袖を潤すことだ)」
と云うと、主は、また、
 「興に乗じてやって来た客を、どうして興を覚ましてお帰しできようか」
と、再び先の岸辺にもどって、盃をあげたのだった。
 月は、もはや比叡の横川の方に傾こうとしていた。

 こんなもので、文意が伝えれるどうかわからないが、昨夜の自分としては、武蔵野北外れに居るとしても、琵琶湖の堅田の浦に煌々と輝く十六夜の月を見たような気がしたのだと、・・・。

 そうして、この句。

やすやすと出でていさよふ月の雲  

 さて、本題である。
 十六夜の月を「いさよい」というのは、河海抄に「いさよいの月、十六日の月の山のはに月しろ上りて、出やらぬを云ふ也」とあるとおり、山の端に離れやらぬ感じから来ているとされる。この句は、これをアイデアのもとにして詠まれている。
 古来山の端にためらうものとされている十六夜の月が、今宵はやすやすと山の端を離れて、雲の辺りにさしかかって、そこでいさよう風だと、面白がっているのだと、・・・。
 以上は、すべて加藤楸邨先生の「芭蕉句集」の解説のほぼほぼのパクリであるが、この雰囲気が自分は好きなのだ。