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ため息俳句 お月見どろぼう

 今夜の今は、雲に隠れている。
 月の出の頃は、見えていたのに。

 さて、その昔、月見どろぼうという、十五夜の夜の子供達の風習があった。
 その夜は、各家の月の光が届く辺りに芒の十五夜飾りがしつらえられて、祝いをするのあった。飾りには膳がついて、秋の収穫物である里芋やら栗やら茄子やら、それに月見団子、梨、林檎、葡萄などが供えられる。
 そのお供え物を、子供達が忍び入って、盗んでよいという一夜限りの風習があった。月見どろぼうである。
 記憶がさだかではないが、一度だけ仲間に加わったことがある。
 日頃の遊びにはもう顔を出さない中学生がその夜はやって来て、窃盗団を率いた。彼らは、長い棒の先に釘を打ち付けた道具を用意していた。それぞれが、夕飯をすますと、某所に集合した。それから、指揮されるままに集落中を巡って、お供え物をどろぼうして廻った。
  わくわくどきどきして、全身汗だくになった。自分はただ金魚の糞であったから何の役にもたたないし、いつもは静まりかえった淋しい田舎である、もたもたしているチビどもはむしろ大人達の目につきやすいし、捕らえられるリスクも高くなる。でも、リーダーの兄ちゃんたちはどんな子も受け入れて、つれまわしてくれた。
 一回りすると、解散になった。
 盗み取ったものは、どうなったかというと、翌朝学校にゆく道々、中学生の兄ちゃんが、チビどもに分配してくれた。何を貰ったかは憶えていないが、妙な気持ちが残った記憶がある。
 云うまでも無いが、大人達はみんな知っていた、十五夜の晩の謂わば年中行事である。盗まれればちょっと腹立たしいが、それも折り込み済み。むしろ、盗まれてこそ「福が来る」「良縁が恵まれる」と信じていたのだった。
その辺のところを、兄ちゃんたちは心得ていて、例え運悪くどこかのおじさんから大目玉を食らおうと、それはそれでことは済むと知っていたのだ。だから、罪悪感と不安にかられながら、尻にくっいてうろうろしていたのは、チビどもだけであったのだ。 
 この頃の世相ではコンプライアンスとかなんちゃらとうるさいが、これは一つ「祭り」のようなもので、目くじらを立てるのはかえって愚かなことであった。

 
 この頃流行の舶来のかぼちゃ祭りとは、ちょいと違うな。


名月にほおっかむりのら駆ける