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ため息俳句 田作り

 おせち料理を、我が家ではほとんど手作りなんてしない。
 料理係はかくいう自分であるからして、煮しめくらいならできるが、今年はそれもしなかった。
 
 伊達巻、かまぼこ、黒豆、数の子、栗きんとん、昆布巻、ちょろぎ、ロースハム、酢だこ、そして田作り、これが今年のおせちの一皿。
 全部購入したものだ。
 これが、子や孫には不人気である。
 ちなみに、お屠蘇やそれに替わるお酒はない、下戸ではないが好んで飲むことはないので、結婚当初は飲んだが今はない。今年はジンジャエールで乾杯した。

 さて、子等は、黒豆、きんとん、かまぼこのみ、孫は黒豆とハム、両者ともちょこっと箸を伸ばしたようだ。
 彼らの好みは、ばあちゃんがここぞとばかりに財布の口を全開にして買ってきた、刺身やら蟹やらイクラやら、から揚げなんぞだ。元旦から雑煮すら喜んで食べない。その上、孫などは、サッポロ一番塩ラーメンがいいといいだす。つい日頃は何を食べているのだと、聞きたくなる。が、爺婆もサッポロ一番は重宝しているので、ストックはあるのだ。調理係が美味しい奴を作ってあげるというと、娘がキャベツと煮込んだのがいいのよと、言う。まったくもって、手抜きだぞと、言いたかったが言葉を飲み込んだ。

 ともあれ、なんと情けない。元旦を朝の食事を何だと思っている。
 親からして幼稚な食生活なのだ。おせちというものを元旦に食べる意味が分かっていない。親子して雑煮より何よりイクラをかけて飯を食うのが嬉しそうだ。それを見ている婆バはご満悦、爺ジは内心苦虫を嚙み潰している。

 いわば、元旦の食事というの新年の儀式だ。おせち料理とは行事食であるし、縁起物だ。そこがわかっていない。いや、自分たちがきちんと教えて置かなったのが至らなかったのだ。ハレの日の食事は旨いというだけで食うのではない。
 と、来年こそは言い聞かせてやろう、・・・?
  

田作りの甘辛飽きぬはや四日

四日目の雑煮であれどこころよし