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非二元(Non duality)はいつもそばにある

トニー・パーソンズが『オープン・シークレット』で次のように書いている。

『ある日、私はロンドン郊外の公園を横切っていた。歩きながら、未来に対する不安や期待で頭がいっぱいなことに気がついた。そして、そうした予想を手放して、ただ歩きとともにあることを選んだように思えた。一歩一歩の感触、圧力がそれぞれまったく違い、ある瞬間にあったものがつぎの瞬間には消えていて、同じ形で繰り返されることが決してないことに私は気づいた。

こうしたすべてが起こっていたそのとき、自分が歩くのを観察している自分から、歩きがただあるということへの移行が起こった。それから起こったことはまったく描写不可能だ。言葉を使って表すとすれば、完全な静寂があらゆるものの上に降りてきたようだった。ありとあらゆるものから時間がなくなり、私はもう存在していなかった。私は消え、経験する者はいなくなっていた。

ありとあらゆるものとひとつになる、それが起こったことだった。ありとあらゆるものとひとつになるということが起こり、圧倒的な愛がすべての部分を満たしたということだ。それと一緒に、全体の完全な理解がやってきた。こうしたことすべてが、時間を超越した一瞬、永遠のように感じられた一瞬の内に起こった。』  

私は天気が良い日は毎朝散歩しているが、時折トニーパーソンズのような体験をする。

考え事をやめ、ただ歩くとき。自分から周りにアプローチするのではなく、周りからのアプローチを受け入れるとき。目で見にいこうとするのではなく、目に入ってくるものを受け入れるとき。同様に、五感で感じるものを受け入れるとき。

そのとき、私という存在は周囲の世界と一体化する。

ただ、あるのは「体験」のみ。

私が歩くと「体験」が変化する。

「体験」は私なのか、環境なのか。

両者を切り離すことはできない。

私は「環境」であり、「環境」は私である。

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