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23/3/6 人生の岐路

自分の人生の岐路って、「そらきた人生の岐路!」とか「今こそ、我が人生の岐路!」みたいにならないわけで、通り過ぎて、しかもそれなりに日数、いや年数が経過した後でようやく「あの時が私の人生の岐路だったんだなあ…」ってしみじみするものだと思ってたんですが。

しかし、51才の私にはそんな時間は残されてないわけです。
明日にでも人生の岐路に立ちたいのです。
自分の人生をさして盛り上げてくれるわけじゃない職場で日銭を稼ぐ日々から、一分一秒でも早く抜け出した方がいいに決まってる。
でも、自分には何もない、自分は何者でもないから、そんな現状を受け入れざるを得ないわけで、今更ながら、結婚した時に仕事辞めなきゃ良かったなあと後悔するのです。

そんな後悔なんて、何の足しにもならないから、そんな時間すら惜しいとわかってるから、何かしら動き出さなければならないのに、日々の生活の慌ただしさのせいにして、ぐちぐち言い訳垂れ流しながら、あまり考えないように暮らしている。だからダメなんだってわかってるけど、どうしたらいいもんか、頭の中で人生ゲームのサイコロを振るフリしながら、何マス進んだらどれだけのリスクがあるかとか、一番の近道を打算的に練ったりしてしまう。情けない。

足がすくむ自分に、自分で同情したりもする。周りの主婦友は、まだ夫が元気に働いていて、日々生きるのに困るなんてこと、頭の片隅にもないように見える。実際のところはわからないけど、私よりは余裕があるように映る。多分、その私の想像は当たっている。私はきっとそういう人が、羨ましいのだ。

仕方ない。運命だから。そういう穏やかな人生ではなかったのだ。もういい加減、腹括っていこうぜ。年齢的に正規雇用は無理だってわかったじゃん。だったら、実力行使しかない。力を付ける時間なんて、もちろんないけど、それでも空虚な毎日を過ごしながら、焦ってるのに涼しい顔して平気なフリするのだけ上手くなる時間を過ごすよりマシじゃないか。

私は今、2択で迷っている。進むべき道。自分ひとりの力で作り上げたものを評価してもらう人生か、皆と一緒に作り上げる場を作り上げる人生か。悩んで悩んで、結論を出せずにいて、人生の岐路を先延ばしにしている。あんなに待ち焦がれている人生の岐路だというのに。急がねばならないこともわかっているのに。他人からお膳立てされたら岐路だと楽だもんね。だから、それを欲して、待っていた。そんなものは待っていても、いくら望んでも、来やしないのだ。

私の人生の岐路は、自分で拵えるしかないようだ。知らなかった。人生の岐路って作れるんだ。そんな人生もあるんだね。私の人生は、どうやらそんな人生らしい。なんか辛い気もするし、面白がれるような気もしている。

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