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24/5/11 仕切り直し

しかし、泣き言ばっかりよう書きましたな〜。
過去にここに書いていたものを読み返しての感想です。

昨年秋頃から心身の調子を崩してしまい、そのことに自分で気付いたのが昨年末。そこから精神の不調の自覚を持って生活し、病の一歩手前で踏みとどまりました。その頃書いたものは、忘れた頃にスキが付く少しの記事を残して、非公開にしました。読み返したくないので、本当は消し去りたいところですが、なんとなく保存してあります。こういうところが、私のセコいところ。バッサリ消しゃいいのにね。

で、もう5月ですか。振り返れば、ちょうど一年前頃からいろいろ辛かったように思います。赤裸々に書くと、3年前に娘がうつ病を発症、1年大学を休学。(その後完治) 息子は父親を亡くした6年前からパニック症を発症しており、波がある暮らしを余儀なくされていました。某大学仏文科の大学院後期博士課程に通っており、聞こえはいいもんだからよく「賢いんですね」とか「すごいですね」とか言っていただくんですけど、この先どうなるのか全く見えないわけで、そこも心の底では心配だったのでしょう。うつ病の娘はもちろん心配過ぎるほど心配でしたし、状況が状況なのでアルバイトもできず(息子は昨年から塾講師のバイトと大学でティーチングアシスタントを続けています)3人の生活は私の細腕(でもないけど)にかかっており、その辺の厳しさが増したのが昨年春頃からだったわけです。

昨年は呪われているのかってくらい、いろいろありました。落語会は10周年を迎え、傍目には華やかに見えながらも、水面下では常に資金繰りが不安。昼のパート仕事とのバランス(ワークライフバランスってやつ)にも悩み・・・いや、悩むことすらできていなくて、もがいていたという表現のほうがいいのかもしれません。解決策も思いつかないし、こんなこと相談されても戸惑うよなあ・・・という思いと、金目当てで話をしていると思われるのが嫌で、お金や仕事にまつわる話は、対面ではほとんどしていません。

娘のうつ病は完治していましたが、2月の看護師国家試験に向けてのプレッシャーが、本人にも家族にものしかかっており、家庭内では薄氷の上を踏むような毎日でした。息子は息子で、論文の執筆が佳境で、苛立ちや不安がピーク。もう家に帰らず、どっか行ってしまいたいと逃亡願望すら芽生えました。そんなタイミングで、実父の認知症発覚と、弟との関係性の悪化が重なり、自分よく持ち堪えたなと、今これを書きながら思っています。

子どもは所詮子供で、親の話なんて聞きゃしません。昼の仕事と落語会のことで休みもなかったし、友達とも次第に疎遠になって、いよいよ話し相手がいなくなった晩秋の頃に、私に取っては大きな絶望につながる出来事(これに関してはここに書けない)が起き、すっかり参ってしまいました。

その頃、話し相手になってくれた方がいて、その人がいなかったら私はもうダメだったかもしれません。人は一人では生きていけないことを実感しました。

年明けから状況が少々好転。息子の論文が査読を通過し、最終的には関東地区大会で発表というところにまでいきました。パニックの発作もかなり回数が減ってきて、ようやく留学も視野に入れて行動ができそうになってきました。(資金面の問題があるので、実現はそう簡単なことではありませんが)娘も看護師国家試験に無事合格し、4月から看護師として楽しそうに働いています。まさか私の娘が看護の世界を楽しめるとは。似てな過ぎる。

ここまで来て、私の心身の不調もやっと復活の兆しです。心療内科にも通っていますし、自分でもいろんな原因やストレスを考えましたが、結局は子どものことが80%くらい影響していたということでしょう。あとは、私の仕事探しがうまく着地できればいうことなしですが、これがなかなかの難題です。そろそろ52歳になりますから。この年齢の人を雇ってくれるところは限られます。それでも、得意や好きからかけ離れた仕事よりは、これまでの経験を生かした仕事に就きたいと思って、下手な鉄砲を数打ちまくるが如く、ビビッときたところにエントリーしまくっています。これまでは見事惨敗ですが。

落語会のことも、ちょっと大仰に捉えすぎていたかなと思って、肩の力を抜いてやっていきます。適当にってことじゃないですよ。でも根詰めたら同じ不調を繰り返してしまう。更年期の揺らぎの年頃ですし、そこは体調重視でやっていきます。

元々、そんなクソ真面目な人間じゃないんですよ。ヘラヘラ生きてきたし、努力家でもないし。美味しいものや酒や音楽や映画も楽しみたいし、バカみたいな事を考えて生きていきたいので、よろしくお願いいたします。人生、今日から仕切り直しです。

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