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お義父さんのアルバム

10年ほど前に亡くなった夫のお父さんは、1929年生まれでした。
生前、何度か、戦争中の話しを聞かせて下さいました。

中学2年生の時、学徒動員で、長野県松本市の軍需工場に行く事になった。移動は、列車。
満員の列車に乗り、一晩、立ち続けていた。
工場では、刃物を研ぐ仕事をした。
最初は、研ぎすぎて、先生に叱られたよ。

生前、お義父さんは、時々、台所に立ち、包丁を研いでいました。
慣れた手つきで、ササッと研いでいました。
お義父さんが研ぐ包丁は、とても使いやすかったです。
「昔、随分、やっていたからね」
と言っていました。
最近、お義父さんのアルバムを見ていたら、戦争中の写真がありました。
若い人達…というか、中・高生くらいの子供達の集合写真でした。
衣類は、国民服?
この様な、歴史があったと言う事を、私達は、忘れてはいけないと思いました。
そこで、この写真を多くの方に見てもらいたいと思って、ここに掲載させて頂きます。

この上の表紙写真の裏には
「馬来前戦基地二於ける落下傘部隊」
「藤倉航空工業株式会社」
と書いてありました。
藤倉航空工業株式会社とは、戦争中に落下傘を作っていた会社の様です。

「馬来前戦基地二於ける落下傘部隊」「藤倉航空工業株式会社」
「落下傘部隊ジョホール?通上空ヲ征く」「藤倉航空工業株式会社」
右下の丸い影は、写真に付いたシミかな?
お義父さんです。昭和16年1月 13才
昭和16年 武蔵嵐山
昭和16年12月4日 眞間山 弘法寺
昭和17年 成田
昭和17年 江ノ島
昭和18年 太田町 (基?)寺
記載なし