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断片

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心中未遂

どうやら、隣人が、彼のアパートのドアの前で、生死の境を彷徨っている。呻き。ベチャベチャと体液混じりの嗚咽、嘔吐。どういうことか。とりあえず、隣人は、執着や不信や、その他様々な感情の具現たる暴力を、目一杯に体に受けて、そうしてアパートの前で倒れているらしい。僕はどうしたらいいかーーーぼんやり、考えてみる。どうしようもない。僕は僕で、死について考えていた。腕を切ったり爪を噛んだり薬を飲んだりする代わり

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夢の液体

夢の液体

あなたの腕の中、これ以上無い幸福に浸りながら、私、変なことを思いました。姿、かたち、ふるまいなどの外的情報を知覚することでしか、いかなる切なさ、愛しさも生じないものなのならば、私はあなたの外的情報のみを愛しんでいるだけなのだわ、と考えてちょっと悲しくなったのです。指を這わせる細い首筋、頬で撫ぜるあなたの腕の毛、あなたの匂いの移った枕、夢にまで見たあなたの姿、愛しいものはみんな感覚。でも、培養器の中

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某

いつもの午前7時の通勤電車、ぎゅうぎゅうと詰め込まれた貨物のような人間、その中で、毎日毎日延々と死にたい死にたいと譫言のように発し続けているやつがいる。どこの誰からかは解らないが確かに死にたい死にたいと聞こえてくる。たまに聞こえてこない日にはとうとう死んでしまったかと思うが、だいたいその次の日にはいつもと同じように死にたい死にたいと聞こえてくる。ああまだ生きていたのか、と思っても別段安堵するわけで

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天地無用

天地無用

言葉を沈めた空に浮かんだ月に涙が混ざってあらゆる世界の輪郭が滲んでいった。思わず、滲んだ月を引っ掻くように両手をバタバタもがいたらどんどん夜に沈んで行って、私の皮膚が、肉体が、水面を波立たせていった。波が立つのは私が水ではないからだ。息が出来ずに必死に破った夜の水面からのぞいた肌は水をはじいて、小さな虫が張り付いてくる。

私は再び水底に潜り、閉じ切られた暗闇に膨張している輪郭を解放しようと腕に爪

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子宮があるからって女だと思うな 魚ども

子宮があるからって女だと思うな 魚ども

僕の部屋は夜になると海月や魚らが泳ぐ大きな水槽になる。海月や魚らが泳いで水を動かす度に絶え間なく碧い煌めきは変化して、無音映画のようである。水槽だけれど部屋だから、窓がある。壁一面の大きな窓だ。窓から濃紺の夜空に散らばる星たちが見える。空に広がる波紋が星たちの光を揺らめかす。僕は星たちへと手を伸ばしたが、ガラスに行く手を阻まれた。銀色のクレセント錠をかちゃん、と下ろし、窓を開けた。そうしたら、水も

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トマトと牛乳と卵

トマトと牛乳と卵

最近赤がなまなましかったのはじきに赤いものが来るからで、牛乳を欲したのも乳房がもうぱんぱんだからで、身体が少し自我強すぎてしかし精神は弱すぎて疲弊するなあと思っていたらとうとう赤が来てしまった。トマトを切った断面の種のきょるきょるした部分を全部スプーンでくりぬくみたいに、やわらかいでこぼこの肉壁にへばりつくどろどろの赤をこそげたい。しかし奴は下腹の内部奥深くに潜み蠢いているのだから、幾ら腹を手で雑

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