日記

■2024年10月07日
物事にはタイミングがある。差し当たっての課題でないと思っていたものが、ある日とつぜん目の前に立ちはだかったりする。そのような時、否が応でも動かざるを得ない。そうして突き動かされながら、ああ、今が「すべき時」なのだと考える。

Chevon(シェボン)というバンドがとてもよい。以前から『愛の轍』を好んで聴いていたのだけれど、『ダンス・デカダンス』にドハマりした。曲がはじまって数秒で惚れたのは久しぶりの感覚かもしれない。

■2024年10月08日
雨の中、近所を散歩する。それだけで少しだけ洒落た気分になれるから安上がりだ。いつものコースを頭の中で振り返って辿ると、そうだ、喫煙所に近くでタバコの臭いがしなかったな、と気づく。雨で煙がこちらまで漂ってこなかったのだろうか、と考えたが、すぐに雨だから愛煙家が居なかったのだ、と思い至った。

■2024年10月09日
新しいフロス(歯の間を磨く糸みたいなやつ)を買った。長らくひいきにしていた――といってもこだわりはまったくない――メーカーの製品とは別物を購入したのだが、これがとても使いにくい。今までにない伸縮性(糸と水平方向に若干伸び縮みする)がある。これが使いづらさの要因なのか、それとも糸そのものの手触りが違うからか。「次からは元のメーカーのフロスを買う」ぐらいしか解決策がなく、無力さを感じる。

■2024年10月10日
セブンイレブンで売っていた、おいしい牛乳のミルクコーヒーを買ってから出社した。昼休みにチキンのお弁当をいただき、外を散歩してコーヒーをいただき、戻ってきてからしばらく仕事。そして一通りの作業を終えたご褒美にミルクコーヒーをいただく。これがおいしい。砂糖が入っているとのことだが、そこまで甘くない。牛乳は言わずもがなおいしい牛乳なのでおいしい。いい塩梅のカフェオレだった。でもやっぱり無糖がよかったな……。

■2024年10月11日
かくあるべし、を外界に当て嵌める。自己が外界の一部であることを認識できる知性が、かくあるべしを自己にも適用する。予想外も不条理も不愉快だから、外界の一切は理屈が通っていねばならない。だから己が気持ちにも、理屈や一貫性がなければならない。そうして気持ちは理性で捻れて、曲がって、歪んでいくのだろう。

■2024年10月12日
少し遠くのスーパーまで買い物に行く。普段通らない道を歩いて行く。遠目に見るとかなり大きな建物に見えたのだけれど、実際に入ってみるとそこまで大きな建物ではなく、売り場面積もそこそこだった。こういうのって大抵、遠目に見ると小さいのに、近づいたら大きかった、なのに逆のパターンは初めてかもしれない。

■2024年10月13日
創作とは個性の滅却である。という言葉がものの本に書いてあると、ものの本で読んだ。これは本当にその通りだと思っていて、こういうキャラ、物語、エモーショナル……その他もろもろを含め、着飾られた創作物というのはたいてい似たり寄ったりだ。人が死んでお涙頂戴、主人公の成長、悪役の悪たるゆえん……。個性を出そうとするから没個性になるのであって、個性を滅却せんとしてようやっとにじみ出るものが本物の個性なのかもしれない。

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