第四回 サウナとは禅である "水のえっせい"

日々思ったことをのらりくらりと書き綴っていく水のえっせい。
本日のテーマはサウナ。実は私、かなりのサウナ好きである、所謂サウナーである。サウナ・スパ健康アドバイザーという資格も持っていて、サウナ・スパプロフェッショナルという資格獲得に向けこっそりと勉強中だったりもする。

なぜ、サウナが好きか。

まず何よりも快感である。湿度が高く心地の良いアロマや木のにおいが漂うサウナで蒸された後に、身を引き締める水風呂に入り、椅子でゆったりと休憩する。温冷効果でポンプのように自分の末端にまで血が行き届き、体の芯からぽかぽかとしてくる。それでいて、身体の中を水風呂の際の時の清涼感が駆け巡る。得も言われぬ感覚だ。

するとどうだろう、普段の生活では気づかなかったり無視しているような、水の流れる音や滴る音、さらさらと風にゆれる木の葉の音、風がほのかに体に触れる感覚、鳥のさえずりや虫の鳴き声、雲模様の移ろうさま、日の温かみや夜風のにおいといったものを全身で受け止めることができるのだ。

全身の感覚が研ぎ澄まされ、まるで自分が生まれたての裸の状態で、森の奥深くで存在しているかのような感覚へといざなわれる。
まさにこの普段ほったらかしにしている五感をすべて呼び起こし、自然と一体化しているようなこの感覚が私にとってのサウナの醍醐味である。

自分と自然しか存在することを許されない空間へと入っていくことが可能なのである。

これはもちろんサウナを自然の中で堪能できればできるだけその感覚に近いものを味わえるのだが、都市型サウナでも目を閉じて想像するだけでその世界へと足を踏み入れることができることが魅力である。

そこで私はふと思うことがあるのだ。「あれ、これって禅じゃね?」と。日本人が大昔より大切にしている、禅の心とはこのようなものだったのではないだろうか。自分と向き合い、心を落ち着かせ、日常生活では見落としがちな、あれこれへと想いや感覚を馳せ、自然や周囲と共生していく。自身が自然の一部だと実感している。私が普段から感じている快感は、どこか歴史のあるものなのかもしれない。

私は禅には詳しくないが、きっとそういうことなのだろう。そういうことにしておこう。

私のサウナ日記もこっそりと貼っておくので、良ければ見てください。
サウナイキタイ、湯の本屋。

さあ、今週末もサウナにいこう。サウナとは禅である。

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