第一回 頭の整理と発散と共有 "水のえっせい"

私はぼーっとしているように見えていることが多いでしょう。
大抵そんなときは何か考えてます。もっと正確な言い方をするのであれば、何かに想いを寄せています。考えるよりはもっと直感的で、ただ自分の正義感と倫理感のもとに頭の中でディベートが行われているような感覚。

そんな私のインサイドヘッドを少しずつ文字に起こして、顔のない誰かと共有をしたくて始めてみます。"水のえっせい"。あまり硬いタイトルを付けたく無いのですが、何か良いものありませんでしょうか、あれば教えてください。精一杯の努力でエッセイをひらがなにしました。"えっせい"って掛け声ありそうですよね、お祭りとかで...。
今回は第一回目ですが、何で"水"という言葉に固執するかを少し話そうかと思います。noteでの名前にも使っていますしね。

みなさんって水は何色だと思いますか。水色ですよね、水の方が色の名前に使われているくらいだし。では水色ってどんな色でしょう、説明してみてください。そう、青を白でのばした色、空の色、といったところでしょう。私もそう説明します。
私はそれなりに生きているので夕日を照らした海を何度も見たことがあります。ですが、あの何とも言えない官能的に美しい色を私は言葉では未だに表現できていません。艶やか鉛色とでもいうべきでしょうか。水色の共通認識はありますが、水の色ってなんだか分かりませんよね。

覆水盆に返らずという言葉が好きです。その言葉の意味というより、水の流動性、不可逆性、そして変動性を感じさせてくれるからです。水は色も形も変わり続ける気がするのです。そんな水の美しさ、柔らかさ、芸術性が好きで、"水"という言葉をやたらと使っています。水のようになれたらと思います、この意味はなんとなく雰囲気で掴んでくれるとありがたいです。

そして何より、私の本名に"水"が入っています。とても好きな一部分です。実際はこれが大きいかな。笑

水のようにのらりくらりと、佇んだり、大きくうねったり、きらめいたり、黒々しくなったりとこの"えっせい"を続けていきます。

それでは第一回はこの辺で。
眠いです、おやすみなさい。

#水のえっせい


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