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大学受験英語に携わってきて思うことpart5

こんにちは、izumi_englishcoachです。前回は一般入試の大学受験に向けて中学から高校の生徒の英語への取り組み方、気持ちの流れなどを述べてきました。今回は日本の大学受験英語について思ったことを綴ってみようと思います。
ご存知のように日本の英語教育は批判されてきて久しいですよね。中学、高校で6年間も学ぶのに少しも話せるようにならないと。英語を外国語として学ぶ他国の学生と大きく差をつけられていると。文科省もその辺は長いこと大きな課題になっており、今春も指導要領が変わり科目名も変わり、4技能をバランスよく学べるようにと重い腰を上げてなんとかしようとはしています。現場でALTと共に生徒に接している人間として、まず英語を口に出すことが恥ずかしいという感覚は否めないと思います。国民性として、謙虚さを美徳とし、不言実行が良しとされていること、debate、discussionという習慣がなく、事前の忖度や根回しで重要事項が決まっていく流れの中で、日本語の細やかさや曖昧さが重要な役割を果たしている。
自己主張よりも相手を立てること、相手の立場を思いやることがまず先に来る日本人気質がまず英語を話す、相手とコミュニケーションを取るという時にかなり障害になるのだろうと感じます。
これまでの読解と作文中心の英語教育はそれはそれで大きな役割を果たしてきているのではないかと思います。大学まで入れると10年以上英語を勉強してきても、簡単な日常会話ひとつスムーズにできないと馬鹿にされるのですが、それは英語を話せなくても日常が成り立つという現実があります。日本はGHQの時代を除けば他の国に占領、侵略された歴史がないので、dominant languageを母国語以外に持ったことがない、幸せと言えば幸せですが、他国語を話せなければ勉強も仕事も日常生活も何も出来ないという経験がないのは大きいと思います。
以前席が隣だったALTの英国出身女性が「私いま33だけど、、今まで1度くらいしか使ったことの無い表現だわ、これ(高校2年の生徒のテストを見ながら)  こんなの教えてテストに出すんだねえ」としみじみ言ってました。
要するに日常的に使える、通じる英語ではなく、知識を吸収するための教養の高いレベルの表現や単語を重視して入試の勉強が構成されているということだと感じました。
SpeakingやListeningはかなり自分で必死に勉強するか、英語圏に留学、滞在して身につけるイメージが未だにあります。私自身、学生時代から英語は好きで得意でしたが、ネイティブの授業を1時間受けたのは大学生になってからです。なので今でもSpeakingやListeningは自信が無いので通勤時間に1日2時間以上その勉強に費やしています、、、
結局、英語の映画を字幕無しで見て理解したり、ニュースを聴いて理解出来たりするのは大人になってかなり研鑽を積んだ人間ということになります。そういう意味では日本の英語教育は実用的では無いのは事実かと思います。今日はこのくらいにして、次回は日本に滞在するALTの先生方と接して感じたことを述べていきたいと思います。

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